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「和田」 のテレビ露出情報

今年は終戦から78年。社団法人・日本放送協会は日本で唯一の放送局として、ラジオを通じて戦争に深く関わった。ラジオを使ったもう一つの戦い”電波戦”が行われていたという。当時ニュースは放送局が自ら取材を行わず、通信社から提供された原稿をもとにアナウンサーが伝えていた。放送の役割は3つ。1つ目は”国民の士気を高める”。2つ目は”占領地で日本の考えや文化を布教させる宣ぶ放送”・3つ目は”敵軍に偽情報を流して混乱させる謀略放送”。今回NHKでは当時ラジオ放送を担ったアナウンサーたちの姿を、実話に基づいたドラマで描いた。1934年、第1期アナウンサーとして日本放送協会に入局した和田信賢アナウンサー。開戦ニュースや大本営発表に携わった。
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今回和田役を演じるのは俳優の森田剛さん。1941年12月、日本軍が真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まった。この時放送局で開戦の第1報を受けたのが和田だった。国民の士気を高めるため、ニュースに合わせ軍の行進曲を流したという。この日以降大本営発表のたびに行進曲が流れるように。世論を導くことが放送の使命となった。戦況の拡大に伴い、日本は次々と放送局を開設していく。最終的に外地・南方の放送局は100ヵ所以上に。1941~1945年にかけて302人の職員が南方に派遣された。放送は現地の住民に日本の文化や言葉を学ばせるなど、占領地の日本化を進める役割を果たした。さらに偽の情報を放送。敵軍を混乱させ、日本軍の作戦を助ける謀略放送を続けた。和田を演じた森田剛さんは「嘘もつけるし本当のことも言えるのが言葉。忘れてはいけないことを胸に刻んで生きなければいけない、と伝わればいい」とコメントした。
戦時中学徒出陣の放送を担当したアナウンサーは、当時の放送を後に振り返り「思えばぼくも残酷なアナウンスをしたものです。有為な青年を死地に送る放送をああまで声を張り上げてやったのかと、いまは慚愧に堪えません」と後悔の念を話している。新たな時代の放送はどうあるべきか。議論が続けられ昭和25年に放送法が制定された。その第1条は”放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること”と定められている。この法律の施行とともに今のNHKが設立された。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月13日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーンおとりよせ@東京
来年2025年に放送100年を迎え、元NHKアナウンサー・大山ツヤ子さんにインタビュー。大山さんは1925年に東京で生まれた。17歳の時、明治大学・女子部法科に入学。「虎に翼」のモデルも通った大学。女で一つで育ててくれた母親をみて、私も早く自立したいと考え弁護士を目指す。しかし太平洋戦争が勃発し大学は授業もままならなくなった。そんな時大山さんはアナウンサーの[…続きを読む]

2024年5月29日放送 11:30 - 11:54 NHK総合
ひるまえほっと放送100年に向けて
元アナウンサーの大山さんにインタビュー。大山さんはNHK時代子ども向け番組や暮らしの情報を担当してきた。1925年東京で生まれ17歳のときに明治大学女子部法科に入学し将来の夢は弁護士だった。理由について「自分で職を持っていたいと思ったから」と話した。しかし、太平洋戦争が開戦しアナウンサーの募集を見つけ日本放送協会に就職した。就職したがニュース・中継は男性で女[…続きを読む]

2023年8月10日放送 7:00 - 7:45 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
今年は終戦から78年。社団法人・日本放送協会は日本で唯一の放送局として、ラジオを通じて戦争に深く関わった。ラジオを使ったもう一つの戦い”電波戦”が行われていたという。当時ニュースは放送局が自ら取材を行わず、通信社から提供された原稿をもとにアナウンサーが伝えていた。放送の役割は3つ。1つ目は”国民の士気を高める”。2つ目は”占領地で日本の考えや文化を布教させる[…続きを読む]

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