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「国立国会図書館」 のテレビ露出情報

千葉・香取市には日本地図を手掛けた伊能忠敬について伝える伊能忠敬記念館がある。忠敬の日本地図は人工衛星の写真と比べてもほとんど遜色ない作りとなっていたが、この日本地図を作るために使われた器具や書状などを忠敬をめぐる国宝はあわせると2345点に上るという。55歳から17年。10回に渡り測量を続けたことで知られる忠敬だが、歩いて測量を行ったのは最初期だけであり、地上測量は江戸時代に使われた「導線法」という測点と側転の間に梵天と呼ばれる道具を立て、1本約30cmの鉄鎖という道具を使って距離と方位角を測る方法が使われた。方位角を調べる際は2度以上の確認も欠かさなかったという。測量の際には辺りにある村全てを訪れているが、富士山は各地から見える山など目標物から方位角を測る「公会法」ために重宝されていたといい、目標物の方位を測ることはより正確な測量を行うことに繋がっていった。忠敬は地球の大きさを把握するために緯度と距離から子午線一度の距離を求めたことも会ったといい、そのために夜の天体観測も欠かせなかったという。伊能図 大図は3万6000分の1のスケールの地図となっていて、「和州式上郡自吉陰村勢州一志郡至市場村 尾」というものは奈良と三重の様子を描いている。大図は伊能図の中でも最初に作られた物となっていて、1畳ほどの大きさとなっているが、この地図も現地ではなく江戸に戻ってから作成したという。測点間の距離を「野帳」というものに記し、これを紙に落とし込んでまず下図というものを作り、下図を参考に大図という具体的な地図の作成に着手したという。大図は縮尺が大きいことで山や川の場所も示すことができたといい、214枚の大図を重ねると日本列島が出来上がるが、こちらは体育館を埋め尽くすほどの規模になるという。そして、完成した大図から縮尺の違う中図・小図をしたが、中図は8枚、小図は3枚で全国の場所を伝えている。南北に比べて東西には誤差が見られる伊能図だが、これは日食や月食から距離の把握を行う中で、13度中観測を成功させられたのがわずか5回にとどまったことが背景にあるといい、これにより緯度に比べ経度の測定データを十分に確保できなかったことがあると専門家の石井秀和氏は紹介した。それでも、忠敬は55歳から17年にわたり地図作成を行う中で、約3万5000kmという距離を歩いたとされ、測量の間は酒も断っていたという。次回の放送も忠敬の歩んだ人生について伝えていく。
住所: 東京都千代田区永田町1-10-1
URL: http://www.ndl.go.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年2月21日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブル(ニュース)
衆院予算委員会集中審議。きのう自民党、公明党、日本維新の会の政調会長会談が行われ争点となっている高校授業料無償化の合意文書のとりまとめに向け協議を行うも着地点に到達できないでいる。与党側はベースの目安を45万7000円としたが日本維新の会はベースという言葉の削除を求めている。日本維新の会の前原誠司共同代表は、修飾語が前提につくとやらない理由にもなるという。き[…続きを読む]

2025年2月20日放送 19:00 - 19:30 NHK総合
NHKニュース7(ニュース)
年収103万円の壁の見直しを巡る自民、公明両党と国民民主党の税制協議。きょう予定されていた今週3回目の協議は延期になった。自民党が国民民主党に対して、与党内で案の調整が続いているため時間がかかるとして、延期を求めたという。こうした中で、日本維新の会・吉村代表はきのう、国民民主党・榛葉幹事長が、与党との税制協議が合意に至っていないことに関連し、「日本維新の会に[…続きを読む]

2025年2月18日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
自民党、公明党、国民民主党が年収の壁の引き上げを巡る協議を再開。所得税が生じる境界線、年収の壁。自民党・宮沢税調会長が新たに示したのは年収に応じて引き上げ幅を変え、低所得者ほど恩恵が大きくなるようにするもの。協議に先立ち公明党・斉藤代表は官邸を訪れ石破総理大臣にくぎを刺していた。あす改めて協議する3党。水面下では維新の会との枠組みも動いていた。予算案を巡る詰[…続きを読む]

2025年2月17日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニング林修のことば検定スマート
きょうは、明治34年に作家の梶井基次郎が生まれた日。「桜の樹の下には」の冒頭部分には、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」などとある。作家デビューを果たした作品は、「檸檬」。

2025年2月15日放送 0:45 - 1:45 NHK総合
べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜紀行
江戸時代から観光地として栄えた浅草。その北西に幕府公認の吉原があった。蔦重の名で親しまれた蔦屋重三郎は五十間道に店を構えた。時代の移ろいの中で姿をかえた吉原。吉原神社は吉原に点在した稲荷社5社と弁財天を合祀した神社。吉原の近くにある浄閑寺は遊女たちをともらい続けている。

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