1997年5月、角屋再生プロジェクトがスタートした。問題はどのアーティストに作品を任せるか。福武總一郎に相談するとある人物の名前が上がった。それが宮島達男だった。宮島は秋元と縁があった。同じ東京藝術大学出身でかつて共に切磋琢磨した同士。宮島は時をテーマにした作品が得意。宮島が島に訪れ「ここで作品を作るのは不可能だ」と秋元に伝えた。秋元はこの島に魅力はあると食い下がった。秋元は宮島に直島のよさを語り続けた。宮島はそこまでいうならやってみようと、2人は毎日、角屋に通い続けた。残暑が厳しいある日、秋元らのもとに、お茶をもって島民がやって来た。宮島はアート制作に島民にも参加してもらうことを考えた。角屋の中にLEDで輝くデジタルカウンター125台を設置。そのスピードを島民たちに設定してもらう。200年のときが受け継がれてきた空間で、見る人は島民たちの命を感じてくれるはずだ。呼びかけると5歳から95歳の島民125人が集まってくれた。発足から1年、角屋が蘇った。秋元は島の魅力をアートで引き出す道を見つけた。次に考えたのは直島を主役にしたアート作品の展開だった。島にあるものをいかしアートで光を当て続けた。すると自分たちだってなにかできるはずだと、堀口たちが自主的にボランティアガイドの会を結成した。島民とアートの融合は世界中から注目を集め、観光客が徐々に増え始めた。だが瀬戸内海は大きな問題を抱えていた。直島から船で20分の豊島。戦後最大級の産業廃棄物不法投棄物事件が発覚。環境汚染が日本中に報道され、ゴミの島と呼ばれた。10年かけて産廃の処理をするもレッテルは消えることはなかった。福武はアートによって汚名を返上できないか考えた。
住所: 香川県香川郡直島町3449-1
URL: http://www.benesse-artsite.jp/chichu
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