口羽家の敷地に夏みかんの木があった。幕府を倒したことは皮肉にも武士自ら職を失うことにつながった。養蚕や陶磁器づくりで生計を立てようとするも上手くいかず、唯一成功したのが夏みかん栽培だった。やがて萩は全国有数の産地となり、夏みかんは明治から昭和の半ばまで町を支えた。武家屋敷の塀が冬の冷たい風から夏みかんの木を守るのに適していた。だからこそ塀は今日まで壊されずに残った。さらに、鉄道が三角州の外側に敷かれたこと、第二次大戦の戦火を免れたことも萩の美しい街並みが残された要因だ。
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