8月、国宝に指定された「多賀城碑」。仙台市の隣、宮城県多賀城市にある石碑。多賀城がいつ造られたのかは国の公式の歴史書には記載がないといい、多賀城碑だけに多賀城の創建年代が刻まれているという。一方で国宝と認められるまで偽物と言われていた時代があった。当時を知る研究者に話を聞いた。多賀城市の多賀城跡で復元が進む南門の近くに国宝「多賀城碑」がある。多賀城創建から1300年のことし、多賀城跡には例年の倍以上の観光客が訪れている。多賀城は平城京や大宰府と並ぶ当時の一大拠点だった。最盛期には東西1.5キロ、南北1キロに及ぶ町並みが広がり約300年に渡って東北の政治や文化の中心として栄えた。その多賀城の創建年代を刻む「多賀城碑」。国の歴史書に記載のない事実を伝えている。江戸時代初期、土の中から発見されたと伝えられる「多賀城碑」。松尾芭蕉が奥の細道の旅で訪れるなど当時から注目されてきたが、明治・大正に入ると「碑文の内容に誤りがある」など碑の真偽を巡って論争が起こった。やがて碑は江戸時代に作られた偽作という説が有力になっていった。「多賀城碑」国宝への道を切り開いた研究者の一人・国立歴史民俗博物館名誉教授・平川南さんは「著名な学者が複数名、偽物と発言したものだから、その影響はものすごく強かった。多賀城町の方が『偽物の碑です』と説明するくらいの状態だった」とコメントした。流れを変えるきっかけが1960年代に始まった多賀城の発掘調査だった。その調査の過程で碑の内容や文字の彫り方などをつぶさに検証した。そうした中で平川さんたちは碑のすぐ近くで主張を裏付ける大きな発見をした。それは当時広がりを見せた戸籍の木簡で、その様式から720年ごろに作成されたものだといい、碑文の内容を証明する資料となった。
住所: 宮城県多賀城市