外山禎彦に話を聞いた。外山は太平洋戦争末期の1944年に郊外へ学童疎開した。過酷な集団生活の中で軍歌の替え歌が密かに歌われるようになったという。替え歌は全国で歌われたが、疎開先で口伝えで広がったと考えられる。替え歌は少年飛行兵養成の施設でも歌われた。予科練平和記念館・歴史調査委員の中川龍が当時の体罰について説明。立命館大学の鵜野教授は「戦争体験者の間に替え歌が埋もれているのではないか」という。
住所: 大分県大分市大字牧1371
URL: http://www.oita-gokoku.jp/
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