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「大田南畝」 のテレビ露出情報

歌麿と蔦重栄は浮世絵なかでも美人画に革命を起こしたとされている。代表作のキセルを手にしている女性の絵は大首絵という顔のアップの絵。2016年にパリのオークションで8800万円で落札された。「深く忍恋」というタイトルがついている。絵の女性は丸髷という結婚した女性がする髪型をしていて、お歯黒も既婚女性の印。次の美人画は婦人相学というシリーズの一つ。相学とは外見から正確を判断する学問のこと。サブタイトルは浮気の相とされている。浴衣姿で手ぬぐいを手にしていることから、染谷さんは湯上がりに男性から声をかけられて振り返っているところだと推理をした。当時流行していた美人画は八等身美人で全身が描かれていて、歌麿の美人画とはだいぶ違うことがわかる。歌麿は人間の表情や仕草を描くことで浮世絵を人物の内面・心情・性格まで伝えられるようにした。それが歌麿の美人画革命。美人画革命は蔦重栄と歌麿の両方の力があってからのこと。歌麿の美人画には版元印があり、蔦重栄のところから出版したという証。
喜多川歌麿は生まれた年も場所も諸説ある。幼少期の記録もない。記録に名前が出る1770年、妖怪画で有名な鳥山石燕の元に弟子入りしたこと。歌麿がその頃描いてた絵は蔦重栄と出会ってからの絵を比べると全く違う。
歌麿が30歳を過ぎたころ、蔦重栄は大きな仕事を任せる。「画本虫撰」という本、狂歌という風刺や洒落をきかせた短歌のこと。狂歌をもとにした絵本だった。この絵本について歌麿の師である鳥山石燕は、虫の外観のみならず生命感を巧みに描きとっているこれこそ心の絵だとしている。ひたすら作品に取り組むことで歌麿は成長した。蔦重栄の眼力も恐るべし。この「画本虫撰」は評判となりシリーズ化もされた。この本の成功は歌麿の絵の力によるものだけではなかった。蔦重栄は吉原のつてを利用して、しばしば大宴会を開いていた。大田南畝たち一流の文化人とのネットワークを作って、彼らに狂歌を書いてもらっていた。当時は狂歌を書いても原稿料が支払わないのが当たり前で、宴会を開いてお礼をするのは蔦重栄ぐらいだったという。蔦重栄の墓石には、優れた気性で度量が大きく、細かいことにこだわらない、信義を尊重することなどが刻まれている。
蔦重栄と歌麿を浮世絵の世界に向かわせてのは、政治の荒波だった。老中・田沼意次の経済政策で町は活気に溢れていたが1783年に浅間山が大噴火し天候不順となる。大飢饉、打ち壊しなどの混乱が起きて田村は失脚。つぎの老中・松平定信は厳しい倹約と文武奨励を進めたが、庶民には不満が高まった。そんな中で蔦重栄は黄表紙という大人向けの絵入り小説を出版する。しかし、幕府に目をつけられて絶版を命じられた。蔦重栄はその後も出版を続け、財産の半分を没収された。黄表紙を出版できなくなった蔦重栄がそこで目をつけたのが浮世絵だった。当時、浮世絵は急成長のマーケットだった。安い値段で庶民に届くようになっていて、中でも人気なのは美人画だった。蔦重栄は対抗するには違った浮世絵ではなければと考え、歌麿とともに生み出したのが大首絵だった。蔦重栄は歌麿に吉原の女性を徹底的に観察させた。次に蔦重栄と歌麿が目をつけたのがあるブームだった。観光地などの水茶屋の看板娘。2人は町娘ブー厶にのった絵を売り出す。人気絵師となった歌麿は他の版元からも浮世絵を出すようになった。その版元で歌麿はさらにリアルな絵を描くようになった。蔦重栄も新たなジャンル歌舞伎へチャレンジするようになった。わずか10か月で140毎日及ぶ役者絵を描かせた。
蔦重栄とは距離をおき、自らの表現を突き進む歌麿は判じ絵という、絵で表したなぞなぞを描くようになった。歌麿が判じ絵を描いたのには理由があった。幕府から、浮世絵の中に茶屋娘などの名前を描くことを禁じた。その理由は客が店に押し寄せてしまうからだという。そこで、歌麿は名前を直接描くのではなく判じで表現した。しかし、幕府は次に女性の名前を絵で表したものは禁止すると判じ絵も禁止した。老中・松平定信が寛政の改革で力を入れたのが風俗規制だった。1797年、蔦重栄が47歳で病で亡くなる。判じ絵が禁じられ、歌麿は新たに無名の働く女性を描くようになった。歌麿は様々な規制を利用して新たな表現を生み出していったが、1800年に幕府は女性のアップの絵を禁止した。そこで歌麿が描いたのは妖怪。当時、男女がたわむれる絵が禁止されていたため、山姥と金太郎がたわむれる絵を描いた。版元は蔦重栄の二代目。歌麿が描いた絵本太功記を元にした武将の絵が、天正年間以降の武者の名は描いてはならないという規制に引っかかった。1804年に手錠の刑に処された。手錠を付けたまま家の中で謹慎するもので、歌麿は50日間処された。この2年後、歌麿は死去した。歌麿が描いた「杭打ち図」について、染谷将太さんはあらがいながらもやりたいことを貫く信念の強さを感じると話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月19日放送 20:00 - 20:45 NHK総合
べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~紀行
栃木県栃木市は、巴波川を理容師た船の貿易で栄えた商人の町。栃木の豪商たちは江戸と行き来し、文化人とも盛んに交流した。 彼らは狂歌を通じて大田南畝ともつながり、営利狂歌本「春の色」には、入銀したと思われる栃木の狂歌師の名が並んでいる。中でも豪商・善野喜兵衛は、通用亭徳成の名で歌麿の作品に狂歌を寄せるなど、深いつながりがあったと考えられている。栃木市立美術館には[…続きを読む]

2025年9月30日放送 1:20 - 1:47 NHK総合
大河ドラマでわかる日本史『タイガーさん』(大河ドラマでわかる日本史『タイガーさん』)
大河ドラマ第64作「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」は江戸が好景気に沸く時代を描く。政治の中心にいた田沼意次が手がけた経済政策は南鐐二朱銀。「朱」は金貨の単位で16朱で1両小判に値する。南鐐二朱銀は銀貨にもかかわらず金貨の単位の「朱」を用いたのがポイント。南鐐二朱銀8枚で小判1両に換算され計数貨幣としての銀貨となっている。田沼は株仲間を色んな業種で奨励して商売を[…続きを読む]

2025年8月27日放送 7:45 - 8:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
今年、栃木市で「大河ドラマ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」に登場する大田南畝との関わりを示す資料が発見された。栃木市とドラマの意外なつながりを取材した。「品川の月」などは、喜多川歌麿が栃木に長期滞在して描いた可能性がある。

2025年8月27日放送 1:55 - 2:00 NHK総合
べらぼうナビかわら版(べらぼうナビかわら版)
今回のテーマは「戯作者」。絵や本のつながりを示した品の系図。耕書堂の主力商品は大人向けの絵入り本“黄表紙”。今回は黄表紙ブームを築いた戯作者たちを紹介。恋川春町は黄表紙ブームの火付け役。文章と挿絵の両方を手掛け、世情を細やかに捉えた作風は大人の読者たちに大評判。
朋誠堂喜三二は春町の親友で秋田藩の江戸留守居役。代表作「見徳一炊夢」が評価を受け、耕書堂の名が[…続きを読む]

2025年7月3日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングGOOD!いちおし
東京・墨田区にある向島百花園は文化元年の1804年ごろに商人だった佐原鞠塢によって開かれてから200年以上の歴史を持つ。見どころは小石川後楽園や兼六園のような豪華な大名庭園とは違う庶民派庭園。さらに多くの有名な文人たちとの関わりが庭園に残っている。向島百花園サービスセンター長・西村潔さんに案内してもらいながら、当時の文化人と花の散歩を楽しむ。酒井抱一は江戸琳[…続きを読む]

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