大阪チタニウムテクノロジーズは1937年に大阪特殊製鉄所を設立された。当初は電気銑鉄を手掛けており、52年に日本初となるチタン試験工場が完成。当時チタンな世紀の金属などの見方で注目されチタン産業とともに成長してきた。53年にアメリカへの輸出を開始した。当時の製造量は1トンほどで現在の13分の1程度の量だった。安定供給のため試行錯誤をしながら独自の製造プロセスを開発し生産量をアップを目指し82年には10トンの生産能力を実現させた。しかしその後新型コロナで航空機需要が減退し結果的にチタン需要も減少、生き残りをかけて景気に左右されないチタンの開発を始めた。