佐藤は日本代表の舞台に立てず、苦悩を味わった。自らを鍛え直す場所に選んだのは、国内の強豪NECレッドロケッツ川崎。チームに入り、周囲の選手に教えられたいと語った。そこで当時このチームの監督だった金子隆行と出会った。入団当初の佐藤に金子は内面的に弱い部分があり、そこが強化されれば良い選手になると語った。金子は佐藤に試練として、コートに立ってパフォーマンスを見せ続ける責任を感じてほしいと1年間はコートに立たせることにした。1年目の佐藤は決定率の差が激しく、結果がでない日も。しかし自信を取り戻させるために、金子はどんな状況であろうと佐藤を使い続けた。その覚悟に佐藤も答えはじめ、開幕から公式戦51試合に出場。日本人最多得点の活躍で最優秀新人賞にも選ばれた。チームのエースとなった佐藤。その成長を見守ってきたのがチームの先輩でもあった古賀紗理那。その重圧をなによりも感じていたが、それを乗り越えたのは監督のおかげであり、佐藤の頑張りでもあると評価した。25年には3年ぶりに日本代表の舞台へ。その年のネーションズリーグでは全試合にスタメン出場。続く世界バレーでもブラジルとの3位決定戦で佐藤は覚醒。チーム最多の34得点の活躍。確かな結果を残した。
