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「大阪城天守閣」 のテレビ露出情報

タモリさんは桜島の北西部にある集落でどう火山と暮らしているのか探った。道にはゴミステーションならぬ灰ステーションがあり灰を捨てる黄色い袋には「克灰袋」と書かれている。噴石などから身を守れるように市が桜島の32か所に退避壕を設置している。火口の近くでは直径2m近くの噴石が降ってきたことも。桜島は火口から2キロ以内が立ち入り禁止になっている。海にはイルカの群れが見えた。続いて隣の集落でたくさんの人が暮らす理由を探った。名産の桜島大根は世界一大きい大根として知られる。実は大根以上に多くの農家が育てているのが桜島小みかん。直径4~5センチで世界一小さいみかんともいわれている。関ヶ原の戦いの3年後に両者を取り持つために家康に贈られたのが桜島のみかんだった。薩摩藩にとって大切な一大産業だったからこそ人が暮らしていた。実は桜島は時代の違う2つの山から出来ていて北岳と南岳と呼ばれている。現在噴火しているのは南岳。北岳は風雨にさらされ続け山腹が大きく削れている。北岳側の集落はなだらかな扇状地でみかんに適している。
火山で灰が降るにもかかわらずなぜ桜島小みかん産業が発達したのか?多くの人が勘違いしているある事実があるという。集落にある墓地を見ると火山灰対策の屋根がついている。屋根のないお墓は西南戦争で桜島から戦いに赴き熊本で亡くなった人たちのもの。西南戦争の時代のお墓に屋根がないのは昔は灰があまり降っていなかったから。実は桜島が日常的に火山灰を伴う噴火をするようになったのは1955年以降。桜島のみかんは今は火山灰の被害を避けるためにハウス栽培が中心になっている。桜島はかつては静かな時期が続き大きな噴火を起こしていた。大噴火で流れた大量の溶岩が島の暮らしに大きな影響を与えてきた。タモリさんは南岳側へ。小山と小山の間に集落が密集していて両側に溶岩が流れてこの地形になった。港の水面に注目すると温泉が湧いているのがわかった。南岳では海岸を掘れば温泉が出る場所も。かつては島津家の保養所や西郷隆盛、大久保利通も温泉に入ったという記録も残っている。昭和40年代にはホテルも建ち並ぶ多くの人で賑わった。
タモリさんは火口に最も近い地域へ。江戸、大正、昭和の3つの時代の溶岩が見える珍しい場所。この溶岩の景観こそ南岳側のもう1つの恵みなんです。溶岩の迫力ある景色は観光客に大人気で大きな観光資源となっている。大正3年に起きた大正大噴火は20世紀以降国内で起きた最大の噴火です。もともと海峡だった部分に溶岩が流れ込み島だった桜島が大隅半島と陸続きになったのです。大正噴火をきっかけに桜島フェリーができ薩摩半島ともつながった。当時の村長は子どもたちに必要なのは教育だと考え、今で言う高校に通えるよう船で鹿児島とつないだ。2つの半島とつながったことで桜島の暮らしは一変します。人も物も移動しやすくなり大隅半島と鹿児島市の距離を近くした。現在桜島フェリーは年間520万が利用し世界屈指の輸送量を誇っている。黒神埋没鳥居の火山灰で埋まった姿が被害の大きさを伝えている。
安心して暮らすために欠かせないものがあります。タモリさんは山の中腹へ。火山の観測施設には世界でもここしかない機械がある。桜島にマグマが供給されると山体がわずかに膨らむ。この装置は山体がどれだけ膨らんでいるか地面に固定したガラス棒を使って計測している。さらに傾斜計も備えられている。100万分の1ミリを計測する。爆発的噴火の90%は前兆現象をつかまえることができる。データは気象庁や自治体と共有し避難指示の判断基準などに役立てられている。桜島では世界最高レベルの観測体制が暮らしを守っていた。人々は火山の恵みと日々の備えを折り重ねて暮らしてきたんですね。最後にタモリさんは「ひょっとすると灰が降らないようになるかもしれないですからね。これから先はどうなるか分からないですからね。大噴火に備えて体制が整っていた。少し安心しました」などと旅の感想を話した。
住所: 大阪府大阪市中央区大阪城1-1
URL: http://www.osakacastle.net/

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年7月26日放送 13:55 - 14:53 テレビ朝日
午後もじゅん散歩午後もじゅん散歩
高田純次が新世界周辺を散策。通天閣を訪れ、展望台から天王寺動物園を眺めた。外から見て気になっていた螺旋状の構造物は60mを一気に滑り降りるスライダー。約3億円をかけて一昨年完成した。さらに今月、高さ40mからバンジージャンプなどが楽しめる新施設が誕生した。

2024年5月21日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
看護師・中嶋さんのお宝は「豊臣秀次の書」。
豊臣秀吉は甥の豊臣秀次を出世や勢力拡大に利用。宮部継潤を味方につけるためまだ4歳の秀次を養子という名目で人質に出した。宮部が秀吉の輩下に入ると秀次は三好康長の元へ再び養子に出された。信長自害後は秀吉の家臣団の一人に迎えられた。教養豊かだった秀次は朝廷や公家の接待役としても重用された。天正19年、秀長の病死と鶴松の[…続きを読む]

2024年5月3日放送 14:22 - 14:52 NHK総合
すこぶるアガるビル(すこぶるアガるビル)
階段が二重螺旋構造になっていて、混雑を防ぐために一方通行になっている。天守閣特有の先細りする構造を有効活用している。こういう作りなのは、市民に入ってもらおう・巡ってもらおう・中の物を見てもらおうという気持ちが強く現れているという。階段の手摺は、加工しやすい人造石で作られ、アール・デコ調 流線型のデザインとなっている。

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