TVでた蔵トップ>> キーワード

「大阪府」 のテレビ露出情報

今日のテーマは「戦後歌謡史~青春編~」。戦後、人々は歌謡曲の中にも死者を悼み敗北と引き換えに得た自由を活力に焼け跡から日本は立ち直ろうと歩き出した。戦後日本の歌謡曲のテーマは「敗北と自由」。1964年、アジアで初めての東京五輪を開催。1970年には大阪万博が開催。太陽の塔のステージの隅っこから、フォークソングを歌う大学生たちが集いのたびに声を合わせて歌う歌が時代そのものを変えるという一曲になったという。その歌が、杉田二郎「戦争を知らない子供たち」。作詞・北山修、作曲・杉田二郎。共に昭和21年に生まれた戦争を知らない世代。戦争を知らない若造などとどこか軽くみられがちな世論に反発を感じた北山修は、「戦争を知らないからこそ俺達世代は平和を知ってる」と主張。1970年3月15日から始まった大阪万博の16日後、3月31日に赤軍派によるよど号ハイジャック事件があった。この年を境に若者たちの犯行は過激に荒々しくなった。4月にはビートルズ解散、11月には戦後日本に絶望したとして作家の三島由紀夫は割腹自殺に出た。この年から戦後生まれの800万人にも及ぶ吐出した人口の塊の世代が二十歳の成人式を過ぎた。彼らは団塊世代と呼ばれた。万博の隅で歌われた「戦争を知らない子供たち」は、それまでの歌のテーマ「敗北と自由」を否定し、フォークソングのブームは「反抗と旅立ちに」変わった。二十歳を過ぎ旅人の資格を得た世代は、戦争を知る世代への反抗と彼らからの旅立ちを次の時代のテーマとした。歌謡の歌詞において、全く新しい言葉が次々と歌の中に流れ込んでいく。その先頭に立ったのが吉田拓郎。日本の歌謡界になかった言葉で反抗と旅立ちを歌った。当時の若者には強烈な歌だったという。「反抗と旅立ち」という2つのキーワードで歌謡界全体が揺れ、新しい才能が出てきたという。その最大の方が作詞家・阿久悠。阿久悠は戦中派である「敗北と自由」で育った世代だが、新しいテーマである「反抗と旅立ち」を受けて2つのテーマの間に歌謡界を作ろうとした。71年のヒット曲「また逢う日まで」は、明らかに男女の別れ歌だが明るい曲調。今までにない男女の別れを描きつつもう1つ仕掛けをしている。タイトルは昭和25年に公開された東宝映画のタイトルで、阿久悠は戦争を知る世代として、戦争を知らない世代の2つのテーマの真ん中に歌を作った。昭和31年の曽根史郎「若いお巡りさん」という歌から、阿久悠は若者向けの斬新な歌として昭和51年ピンク・レディーのデビュー曲「ペッパー警部」を作った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年11月1日放送 0:35 - 0:45 フジテレビ
FNNニュース&スポーツSPORTS
JVA第79回全日本バレーボール高等学校選手権大会、徳島代表決定戦は城南vs富岡東。城南・佐藤嘩音選手は24年大会ベスト8の金蘭会高校(大阪)・佐藤彩音の妹。この試合14得点。3-0、城南が勝利。

2026年10月31日放送 23:00 - 23:30 日本テレビ
アナザースカイ(たくろう|大阪)
今夜のゲストはお笑いコンビ「たくろう」。コンビ名は2人が大好きな木村拓哉の「たく」、イチローの「ろう」からとった。M-1で人生が変わり、とにかく怒涛の日々だった。9月16日にはなんばグランド花月で単独ライブを開催。愛媛県出身の木村と滋賀県出身の赤木が大阪で出会って結成。きむらはNSC36期生、赤木は37期生で、きむらが1つ先輩になる。

2026年10月31日放送 20:07 - 20:55 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜世紀の発見 iPS細胞 命を救うため執念の20年
イギリスでビートルズがデビューした1962年、生命科学でもクローンカエルが誕生した。同じ年に大阪で山中伸弥が誕生。中学生の時に父がC型肝炎で入院することになり、山中は自然と医学への道を志していった。しかし医師になった山中を待っていたのは残酷な現実。10年経っても父の病気の治療法が見つからず、無力感を感じながら父を亡くした。山中は治せない病を治せる人になろうと[…続きを読む]

2026年10月31日放送 19:56 - 20:54 日本テレビ
笑ってコラえて!謝罪の祭典!カメラに向かってごめんなさい
カメラに向かってごめんなさい幼稚園児編。「れんくんのこと好きすぎてごめんなさい」「M!LK好きすぎてごめんなさい」などと謝罪した。

2026年10月31日放送 15:30 - 16:00 テレビ朝日
なにわ男子の逆転男子休みになったらどこへ行く?藤原丈一郎編
藤原丈一郎は、本当のオフだったら「10:30~全国高校野球選手権大会」「11:10~MLB2026 ドジャースvsロイヤルズ」「18:00~プロ野球パ・リーグ 楽天vsオリックス」を見るため一日中家にいると話した。藤原丈一郎が最初に訪れたのはSansanピックルボールコート池袋。日本でも競技人口が急増しているピックルボールで遊んだ。藤原丈一郎は初心者相手にも[…続きを読む]

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.