当時15歳だったチィメド・ツェリンさんが目撃したのは日本軍とソ連・モンゴル軍が戦ったノモンハン事件。1932年に満州国が建国。駐留していた日本軍はソ連・モンゴル軍と国境をめぐり小競り合いを繰り返していたが、1935年に本格的な軍事衝突に発展。4か月にわたり繰り広げられた戦いは4万人近い犠牲者を出し日本の敗北に終わった。モンゴル・ウランバートルから東に1000キロ、ノモンハン事件の現場には85年前の戦争の残骸が今も残る。周到に塹壕を準備したソ連軍は連日、日本軍を攻撃した。ノモンハン事件を40年以上調査しているモンゴル人研究者は「ソ連が勝った要因はロジや補給、戦力。特に地形をよく知っていて正しい情報があったから」と話す。ソ連軍の戦力を過小評価していた点も敗因の一つだという。また日本が敗北を受け止めていたら太平洋戦争を計画することはなかったと指摘する。100歳のツェリンさんは「二度と戦争を起こさないようにしてほしいと伝えたい」と訴えた。