戦況の悪化がすすむ1943年半ば、抑留者の待遇がさらに厳しくなる。全国で抑留所の移転などがすすみシディンハムさんたちは70キロ離れた山間に移された。この抑留所で撮影されたとされる写真がある。抑留者は警察官によって監視・命令されるようになった。シディンハムさんはここでの生活を日記にしていた。シディンハムさんが日本に対する失望と怒りを深めていく様子が綴られていた。警察官たちが栄養失調の抑留者を放置したり、配給を奪って宴会を開いたりしていたという。抑留所の管理をしていた警察官の音声がある。そこには警察組織のモラルが低下していく様子が記録されていた。研究者の野間龍一さんは警察官が軍に次々と招集されたことがモラル低下の要因の一つだと指摘する。さらに、食料や物資が不足する中で多くの日本人が抱えた不満が非人道的扱いにつながった可能性もあるという。怒りを募らせるシディンハムさんはすべての日本人が悪いわけではないという思いとの間で揺れ動いていた。