- 出演者
- 伊集院光 いとうあさこ 盛山晋太郎(見取り図) リリー(見取り図) 渋谷凪咲
オープニングが流れた。
豊岡市は海外から譲り受けたコウノトリ6羽を人工繁殖し世界初の野生復帰に成功した町。島田珠代がサンロード1番街で聞き込みをした。バーガーシティ サンロード店を訪れた。1980年代に関西を中心に約400店舗まで拡大し1987年に上坂さんの開店を皮切りに但馬地域でも 新規店が次々とオープン。最盛期には但馬地域で10店舗以上になった。1998年に本部が夜逃げ倒産。上坂さんは独自の仕入れルートを構築していった。人気No.1はテリヤキバーガー。現在は上坂さん考案のオリジナルバーガーを40種類以上提供している。
渋谷さんは「手作りの自然な感じでめっちゃ美味しそうだった」、伊集院さんはクイック・ロック・ジャパンは国内唯一バッグ・クロージャーの製造を行っていると紹介した。
バッテリィズが調査にいった。昭和30年代は手描きの看板があった。手描きの看板を掲げるのは新世界国際劇場だけになったという。映画看板絵師に会うため西成に移動した。八条祥治さんは父親が立ち上げた八條工房に24歳の時に飛び込んで以来、映画看板を描き続けている。八条さんが手掛けた看板は1万枚以上になる。映画看板絵師の仕事は自分の作品を消すことから始まる。映画の公開が終われば看板の役割も終わる。八条さんは番組の看板を描くことを約束した。
八条さんに描いてもらったバッテリィズの似顔絵の看板は「国際劇場」に飾ってもらえることになった。八条さんは「劇場の前を通る人が懐かしそうに見てくれるのが嬉しい」などと話した。看板は掲載後にエースさんが実家に持って帰ったという。
高知・日高村で受け継がれる武術が「二刀神影流鎖鎌術」。流祖は宮本武蔵の流れを汲む弟子・新免弁助信森。現在は7代目の細川隆さんのみが受け継いでいるという。細川さんは71歳の時に免許皆伝したといい、「一子相伝の武術だからなかなか広がって伝わる武術ではない」などと話した。
愛知・名古屋市にある「名妓連組合」で代々受け継がれているのが「金のシャチホコ」という伝統芸。名古屋城の金のシャチホコのように、両手と顔を支点にし倒立して体を反らせる。習得までに3か月かかった人もいるとのこと。名妓連組合で最年少のこと美さんは「芸姑さんがこんなことをするとは思っていなかった。伝統を守っていきたいのでいろんな方に見て知っていただけたら」などと話した。コウメ太夫さんも金のシャチホコに挑戦することに。
名古屋に残る唯一無二の伝統芸「金のシャチホコ」の魅力を伝えるため、身を持って体験することに決めたコウメ太夫。猛特訓の成果は、多くのギャラリーが見守る中、かつらを外したコウメ太夫の姿が。なんとか成功させるため3人の力を集結。名古屋の芸姑・舞妓は少なくなっているが、伝統の金のシャチホコとともに名古屋の花柳界をどんどん盛り上げて行きたいという。あさこさんも行かれてて、「本当に大変だし各所が痛い」等と話した。ロケについて「キャスティングを考えて欲しい」等と話した。
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香川県小豆島でものづくりを続ける1軒さんは、日本で唯一オーダーメイドでヨットを製造する岡崎造船。日本のヨット乗りたちは、あこがれと尊敬を込めて「いつかは岡崎」と口にするという。岡崎造船が作っているのは、ゆったりとした船旅が楽しめるセーリング・クルーザー。創業当初は、木造漁船などを作っていた。1960年代に本格的にセーリング・クルーザーを手掛け始めた。高度成長期には業界も活気づき、多いときには国内で50社ほどが参入。しかしバブル崩壊などをキッカケに次々と廃業。そんな中、岡崎造船を奮い立たせたのはお客さんからかけられた「お前のところが無くなったら船をどこに持っていったらいいんだ」という言葉。全国のオーナーが顔を合わせて直接希望が伝えられるのも国内メーカーならでは。お客さんのオーダーによって職人が手作業で作り上げていく。平均3000~4000万円。オーダーによっては億を超えることもある。それでも新艇の注文は現在約3年待ち。
東京・浅草にSHOWROOMの人気ライバーの2人がやってきた。「ホワイトローズ」は国内唯一のビニール傘専門店で、世界で初めてビニール傘を作った会社だという。ビニール傘が誕生したのは戦後。水が染み込む布製が主流の中、先代が海外のビニールに目をつけた。一時期は国内で50社がビニール傘を生産していた時期もあったそう。昭和40年代には若い女性の間でビニール傘が流行したが、安い中国製品が入ってきたことで、価格競争で他社が撤退してしまったという。そこでホワイトローズはオーダー傘を始めた。年間1万本以上を売り上げるまでになった。傘は千葉県の工場で手作りで生産している。宮内庁から美智子さまのための傘の要望もあったという。丈夫さと軽さを両立したということ。
藍染で使われる藍がめは特殊な技法で作られているが、その技を継承しているのが徳島県鳴門市の大谷焼の2つの窯元のみだという。その技術が「寝ろくろ」。職人の足元でもう1人がろくろを足で回す。電動化が進み、この技法を用いているのは現在は大谷焼のみだという。
昭和生まれの4人に2択クイズを出題し最後の1軒の企業を紹介。紙風船の専門メーカーは新潟・出雲崎町の磯野紙風船製造所のみ。ベーゴマの製造会社は埼玉・川口市の日三鋳造所のみ。現在年間20万個を販売している。カタヌキの製造会社は大阪・西成区のハシモトのみ。海外ドラマの影響でカタヌキの人気が再燃している。ルーレット式おみくじ器は岩手・滝沢市の北多摩製作所のみ。
廃棄寸前の市場で営業を続ける中華食堂 千成亭。千久谷さん親子が切り盛りしている。1972年に地域の台所として建てられた神野市場。当時は鮮魚店や精肉店、手芸店など48店舗が軒を連ねていた。1974年に千成亭はオープンし人気を博したが、神野市場は経営者の高齢化で衰退し1995年に1軒だけになった。父の死をきっかけにフランスシェフをしていた武さんが店を継いだ。創業当時の味を守る「かつめしセット」を求めて県内外から多くの人が詰めかけている。
太平洋に浮かぶ孤島ミクロネシア連邦をさやか・石井が取材。ミクロネシアの都市から船で15キロ以上離れた場所を目指す。
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ジープ島に到着した石井を出迎えたのは渡会和馬さん。島には現地スタッフなども暮らす。シャワーで使用できる水の量はバケツ1杯分で、タンクにためた雨水が貴重な水源になっている。島の直径は34mで歩いて3分以内のサイズ。島での過ごし方を教わった石井は、海の美しさなどを堪能。ジープ島のサンゴは、かつてダイナマイト漁でボロボロになったが12年の歳月をかけて再生。魚やイルカが集まる島へと生まれ変わった。島周辺にはアメリカ軍の空襲により沈んだ日本の軍艦が海底に眠っている。
太平洋に浮かぶジープ島。夕飯は現地のママが作ってくれた特製の島料理を堪能。渡会さんは島に来た理由について明かした。19歳の時に母が植物状態になり介護・借金を背負い人生を諦めた時にジープ島の本と出会った。奇跡的に母の病状は回復し、渡会さんは本の作者・吉田宏司さんの元を訪ね後継者を志願。1997年に無人島だった場所に目をつけジープ島を作った吉田さん。60歳を過ぎ島の管理を続けられないと考えていた矢先、渡会さんとの出会いがあった。渡会さんはジープ島を世界遺産することを目標にしている。
出演者は番組を観て1軒さんが増えることを期待した。
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