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「太平洋戦争」 のテレビ露出情報

パラオのペリリュー島は太平洋戦争の激戦地として知られる。当時日本の統治下にあったペリリュー島に米国軍が上陸したのは1944年9月。2カ月余におよんだ戦闘で日本兵1万人余の殆ど、米国兵1500人超が死亡。補給もない中、玉砕も自決もゆるされない徹底的な持久戦。日本兵は本土決戦のための時間稼ぎを課されていた。今月15日ペリリュー島で行われた戦没者を悼む式典、日本と米国の遺族や政府関係者が平和への誓いを新たにした。旧日本軍が掘った洞窟に大砲や戦車、飛行機の残骸、旧日本軍の航空隊の司令部があった場所には空爆のあとが残されている。島内には今も約2400人分の遺骨が遺され遺骨収集が続けられている。戦闘を生き抜いた34人の元日本兵は全員死亡。当時を知る島民も少なくなっている。島で生まれ育った日系2世のマユミ・シノヅカさん(87)。父は日本人のビジネスマンだった。戦闘を前に島民は旧日本軍によって別の島に移住させられたが食料はなく米軍の空襲にもあった。当時のことを今でも鮮明に覚えているという。戦争が終わり島に戻ったシノヅカさんが目にしたのは戦闘のため草木を焼き払われ荒野と化した故郷だった。ペリリュー島の激戦を忘れてはならないとパラオ政府が日米の協力で兵士の遺品などを集めた博物館をオープン。パラオのウィップス大統領も来館。展示されている当時の武器や地図、兵士の飯盒などに目をとめていた。博物館の準備に携わった東京大学・菊池百合子さん。遺骨収集の活動のためペリリュー島を訪れ島での戦闘の記憶が風化しつつあることに危機感を持った。兵士たちの遺留品の中で菊池さんの目にとまったのが縦断が貫通した水筒。島には川がなく兵士たちは飲み水の確保に苦しんだ。島で唯一の井戸に命がけで水をくみにいったという。菊池さんは水筒を博物館の中心にすえ、当時の過酷な環境を伝えることにした。ペリリュー島で起きた惨状の痕跡にふれることで多くの人に戦争を自分ごととして捉える機会にしてほしいという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年10月3日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(オープニング)
今回は太平洋戦争の日米プロパガンダ戦を特集。

2024年10月3日放送 20:45 - 21:00 NHK総合
首都圏ニュース845(ニュース)
太平洋戦争中に空襲の被害を受けながらも焼失を免れ戦争の傷痕を今に伝える樹木。研究者からは戦災樹木と呼ばれている。戦災樹木の保存につなげようと日本と米国の研究者がきょう都内で樹木の調査を行った。戦災樹木の研究を続けている明治大学・菅野博貢准教授と米国の歴史学者・デイビッドフェドマンさんの研究チームはその存在を広く知ってもらい保存の必要性を訴えようと詳しい調査を[…続きを読む]

2024年9月28日放送 3:25 - 4:20 フジテレビ
FNSドキュメンタリー大賞FNSドキュメンタリー大賞
長野県諏訪市に住む報道写真家の石川文洋さんはカメラマン人生の集大成となる写真集を出すためにベトナム戦争の写真に整理をしていた。ベトナム戦争は1964年頃から南ベトナムと北ベトナムの間でおこなわれた戦争。アメリカが軍事介入し南ベトナムを支援し住民含む300万人以上が犠牲になったとされる。銃弾が飛び交う戦場せアメリカ軍の攻撃や北と南にわかれて戦うベトナム人同士、[…続きを読む]

2024年9月25日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
列島ニュース(沖縄局 昼のニュース)
宜野湾市の伊佐地区では23年前、沖縄戦や太平洋戦争の戦没者130人余りの名前を刻んだ石碑を建立した。毎年この時期に慰霊祭を行っていて、23日は沖縄戦の遺族など約50人が参列した。この中では、地元の子どもたちが平和への祈りを込めて折った千羽鶴を手向けたほか、参列者一人ひとりが焼香して犠牲者を悼んでいた。伊佐地区は戦後、かつての集落などが強制接収され、米国軍基地[…続きを読む]

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