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「太平洋戦争」 のテレビ露出情報

石川さんは自宅横の長い階段をのぼり毎日かかさずに上まで歩くが、歩くことは報道写真家としての石川さんの活動を支えている。20年前には歩いて日本を縦断する旅の挑戦し北海道から沖縄まで3000キロを超える道程を歩き、現場を訪れることを第一にしてきた。今年1月に起きた能登半島地震。発生から1ヶ月後に取材に向かった石川さんはその現場を写真で撮影した。これまでも東日本大震災などの災害現場を訪ねてきたが現地では被災した人にできるだけ会いにいき話を聞くことを大切にしている。南谷良枝さんは自宅と実家などが地震の被害にあった。朝市で営業をするとともにインターネットで魚介類の販売をしている。しかし倉庫が傾き中の機械も壊れて加工品はほとんど売りものにならなくなった。また能登半島伝統の魚醤のいしるを作っていた樽も壊れ、無事だったいしるはわずかで商品のほぼすべてを失った。
南谷さんはさらに地震によって海底が隆起し輪島港などでは漁船が出港できなくなったという。また商品をまた販売したいと答えた。50年前激しい戦闘の舞台になったベトナム。今年3月に日本の学生と石川さんがベトナムへ。アレン奨学会沖縄が企画したベトナム平和研修では沖縄県の大学生や高校生など6人が参加した。9ヶ月まえに石川さんは沖縄県で学生に講演を行い、生まれ故郷と太平洋戦争で惨禍に見舞われた沖縄で自分が見てきた戦争を語った。アメリカの統治下にあったころ沖縄はベトナム戦争に深く関わった、がベトナム戦争に向かうアメリカ兵の訓練基地なり兵士や物資を運ぶ拠点となった。沖縄からきた若者にベトナムの過去と今を伝える旅だという。学生たちは石川さんの講演で写真をみたり話を聞いたりしてそれぞれの思いをもって参加した。
山内さんは教師を目指しているというがこの平和研修会を企画したアレン奨学会沖縄
は毎年ベトナムの小中学生に奨学金を贈る活動を行っている。元アメリカ海兵隊員のアレン ネルソンはベトナム戦争から帰国したあと心的外傷後ストレス障害を発症し障害と戦いながら多くの敵の命を奪った経験を語りベトナムへの謝罪と支援の思いを伝え続けた。枯葉剤の影響で亡くなったとみられるアレンさんの元には多くの寄付が集まった。一人のアメリカ兵の償いが平和研修につながっている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月13日放送 14:00 - 14:55 フジテレビ
ザ・ノンフィクション今晩 泊めてください2 ボクが一生続けたいこと 後編
あくる朝、最長老の廖さんが石田さんと向き合った。語り出したのは日本統治下の少年時代。廖さんは「中日戦争の時、僕は小学6年生。あの時は日本の騎兵隊はあちこち行くから食うものが少ない。だから台湾の学生を利用して、台湾で馬の料理を準備して大陸へ送っていく。台湾人は日本兵になれないから軍務として徴兵されて戦争の補給をする。工業学校に入って2年後、台北の大空襲。今の総[…続きを読む]

2025年7月12日放送 6:00 - 8:30 フジテレビ
めざましどようびBUZZ エンタランキング
雪風 YUKIKAZEの完成披露上映会に、竹野内豊・玉木宏・奥平大兼らが登場した。呼びかける司会者とは反対方向に返事をしてしまう天然ぶりを見せた。竹野内豊・玉木宏・奥平大兼に3人で共演するとしたらどういう役どころかを聞くと、奥平大兼は親子か格闘アクションをやりたいなどと答えた。

2025年7月8日放送 15:35 - 16:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン旬の番組テイスティング
今回の新日本風土記の舞台は、アメリカ・ロサンゼルスのリトルトーキョー。141年前、1人の日本人移民がレストランを開いたことから始まった街。老舗が軒を連ねる1番街で最も古くから営業を続けているのが1903年創業の和菓子店。毎日行列が出来る人気店を経営するのは創業者の孫で日系3世のブライアンさん。毎朝7時から始まる菓子作りでブライアンさんと長男のコーレイさん2人[…続きを読む]

2025年7月6日放送 4:00 - 5:00 TBS
TBS NEWS(ニュース)
浜松市中央区呉松町に仕掛けられた罠に入っていたのは特定外来生物・ヌートリア。南米原産のネズミの仲間で太平洋戦争前、軍服の毛皮用に持ち込まれたといわれている。浜松市は業者に依頼し捕獲を進めている。ルーツジャパンの岡本浩明理事長は、一番は農業被害です、米とか野菜を食べてしまうと説明する。農林水産省によると、ヌートリアによる農作物被害額は1年間で約5000万円。こ[…続きを読む]

2025年6月30日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
台湾の植民地時代の記録映画「南進台湾」が残っており、その映像が流れた。1937年に日中戦争が始まると、日本は同化政策を強化しその様子も映像に残っている。こうした政策に反発した呉濁流は中国に渡ったが、日本のスパイだとみられ嫌われたという。そのため呉濁流は台湾を「アジアの孤児」と表現したという。太平洋戦争に入ると台湾国民も戦地に送られるようになる。1945年に日[…続きを読む]

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