今年は太平洋戦争の終結から80年となる。戦争を体験した人が減る中、10万人が犠牲となった東京大空襲を後世に伝えるため焼け跡の保存作業が始まった。東京・墨田区にある賛育会病院の旧本館の紹介。1945年3月10日の未明、米軍のB29が落とした無数の焼い弾が賛育会病院のある下町一帯を焼け野原に変えた。この日の東京大空襲で焼失した建物はおよそ27万軒。およそ10万人が命を落とした。賛育会病院も火の海に包まれたが、コンクリートでできた建物は奇跡的に焼け残り、医師や患者らの犠牲もなかった。終戦の翌年、診療を再開したが、屋上にあった小さな部屋だけはほぼ手付かずのまま、悲惨な戦争の記憶を80年もの間静かにとどめていた。しかし、建物の老朽化が進み、去年旧本館を解体することに。工事に先立ち専門家が調査したところ、この部屋が貴重な歴史的遺構であることがわかった。部屋のすすけた木片や壁の一部が切り出され、別の施設で保存展示されることになった。戦争体験者の声を直接聞く機会は少なくなっている。