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「太平洋戦争」 のテレビ露出情報

今回は真宗大谷派の僧侶の加藤大樹さんが戦死した曽祖父の最期を調べた。戦争で南方に派遣され終戦まで生き残った曽祖父。にもかかわらず終戦から一年以上過ぎて日本から遠く離れた場所で亡くなったか?その疑問は増していくばかり。愛知県瀬古市の順慶寺は80年前に親鸞がといた教えを伝える真宗大谷派のお寺。加藤さんは病気で亡くなった父親のあとを継いで20代で順慶寺の住職になった。午後の法要にむけて次第に人が集まってきた。法事の際にはお斎と呼ばれる食事を振る舞うのがならわし。住職は加藤さんが4代目で、母と妻、子ども4人の7人家族で、以前から不思議に思っていたのが祖母の父の曽祖父の戦争体験。曽祖父の本多淳郎さんは戦争の翌年の1946年に戦死。親戚の間でも詳しいことはつたえられてこなかった曽祖父の戦争。それを紐解くことが未来に繋がることと加藤さんは考えた。
加藤さんはまず曽祖父を軍人として調べることにした。親族であれば陸軍の場合、本籍地の自治体から軍の履歴を取り寄せることができる。本多淳郎さんは輜重兵だったというが物資の輸送などを担っていた。昭和書記に幹部候補生として陸軍に入隊し、一時軍を離れたあとに太平洋戦争で出兵。最期は、西部のニューギニアで戦病死したと記されていた。本多淳郎さんはどんな人物だったのか?瀬古市の著名人をまとめた本の中に紹介されていたが、真宗大谷派の僧侶で、軍に入るまでは仏教系の学は校で学んでいた。軍人になったあとに経験したことに名古屋城に隣接する官庁街に淳郎さんが入兵した輜重兵第三大隊があった。輜重兵は元々馬を使った武装舞台で弾薬や食料を前戦に届ける役割を担っていたが目立たず敵にも狙われやすいという。淳郎さんは10年ほど軍を離れたあとに1941年に陸軍輜重兵学校に入校し、自動車の教育をうけた。次の戦争に備えできたばかりの高校だった。
淳郎さんが教育を終えた2ヶ月後に日本は太平洋戦争に突入。淳郎さんは招集されて初めて戦場に赴くことに。1942年に輜重兵の少尉として中国戦線に投入された淳郎さんは浙江省から江西省にかけて行われた作戦に臨んだ。浙贛作戦は飛行場などを爆発させ戦線の拡大と洪水、伝染病によって物資の補給は困難を極めた。南方での戦況が悪化し始めると、淳郎さんは水上輸送を担う部隊に移され、ベトナムやシンガポールを経由しインドネシアで最期を迎えた。去年6月には加藤さんが愛知県庁を訪れ、淳郎さんの履歴の元になった資料を閲覧するためだという。終戦直後に国の命令で軍に関する文章の多くが焼却された中で淳郎さんの場合複数の記録が残っていた。愛知県が記録を作る際に死因の根拠にした死亡報告書では、加藤さんはその別の資料に目を留めた。死因が自殺という資料も発見したが、その箇所は県の判断で隠されていた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年8月3日放送 22:00 - 23:00 NHK総合
映像の世紀(オープニング)
前回に引き続き第二次世界大戦で撮影した映像を最高画質に変換するという世界初の試みを行った。第二回の今回は1941年に勃発した独ソ戦と太平洋戦争について特集する。

2026年8月3日放送 8:15 - 9:55 NHK総合
あさイチ(特集)
85年前の太平洋戦争時のお子様ランチなどの食を紹介。戦況が悪化すると婦人雑誌に変化が表れ、かぼちゃの種や皮の活用法まで紹介していた。そこで、記憶に残る「食」から戦争を考える。

2026年7月25日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(ニュース)
太平洋戦争の激戦地、フィリピンで亡くなった日本人の遺族らが現地を訪問し、慰霊式典に参列した。ミンダナオ島・ダバオでの慰霊式典には沖縄から訪れた遺族ら約30人のほか地元の日系人らが参列。ダバオでは1万人を超える日本人が戦争で命を落としたとされている。慰霊訪問はことしで58回目で、遺族らは「戦争の歴史を語り継ぐためできる限り続けていきたい」としている。

2026年7月24日放送 22:30 - 23:30 NHK総合
時をかけるテレビ女たちの太平洋戦争 従軍看護婦・激戦地の記録
昭和16年に太平洋戦争が開戦し、東南アジア各地に戦線は拡大していった。それとともに日本赤十字社には救護班の派遣が要請され、頼藤ツルさんは20歳で従軍看護婦となった。戦時中は軍の求めに応じて看護婦を戦地に派遣することが求められ、その多くは20代前半ばかりだった。中には既婚者や子どもをもうけている人もいて、西内清子さんの知人が乳飲み子を置いて行ったことに涙が出た[…続きを読む]

2026年7月21日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース熊本局 昼のニュース
太平洋戦争末期の「熊本大空襲」から今月で81年。戦争の悲惨さを伝えようと、当時の写真などを展示するパネル展がきょうからはじまった。太平洋戦争末期の1945年7月1人8月10日に、熊本市の中心部などがアメリカ軍に爆撃された「熊本大空襲」では、400人以上が犠牲になった。41回目となる今年はきょうから東区役所で始まった。当時の写真や新聞記事が展示されている。空襲[…続きを読む]

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