TVでた蔵トップ>> キーワード

「宇野元忠氏」 のテレビ露出情報

「USEN」に聞くと、「蛍の光」は約半世紀前から放送がはじまり、「蛍の光」は元々スコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」を日本語でカバーしたもの。「別れのワルツ」は「オールド・ラング・サイン」を三拍子にアレンジした楽曲。はじまりは西洋音楽勉強のために取り入れられたもの。ところが元々の歌詞は旧友が再会してお酒を酌み交わすというもの。それでは子供用の唱歌に出来ないと歌詞が付け直されたのが「蛍の光」の歌詞。それが別れの歌にふさわしかったことから、卒業式の定番曲になり、儀式の厳粛さやともに歌う一体感とか別れの心情を結びつけていったという。もう一つの進化系が閉店音楽としてかかっている「別れのワルツ」。「蛍の光」と「別れのワルツ」の違いについて。福島市古関裕而記念館を訪問。「別れのワルツ」は昭和24年に映画「哀愁」が日本で上映され、「蛍の光」を三拍子にアレンジした部分が日本の人達に非常に受けたとのこと。その効果に着目したのが、現在も「別れのワルツ」を放送しているUSEN(当時・大阪有線放送)の創業者・宇野元忠氏。1961年に「有線音楽放送」を開始。「店の回転率を上げるには客を長居させてはダメ。帰らない客には『別れのワルツ』で閉店を知らせればよい」と語った。ここで「別れのワルツ」=閉店の曲という図式が出来上がり、1961年まで遡ることが出来た。映画解説者・淀川長治さんの著書には「スクリーンの前にはスルスルと幕が降り、聞こえてくるのは『蛍の光』。どの活動写真館にも伴奏用のオーケストラボックスがあり、これが『お楽しみは、もうお終いだよ』という合図でした」と書かれている。現在も活動写真の魅力を伝える「マツダ映画社」の講演を見せてもらうと、弁士や楽師たちが映画を盛り上げていく。上映が終わると、四拍子の「蛍の光」が流れ出した。「蛍の光」が終わりの合図になっていたのは、明治30年代のこと。それは今から約120年前に遡る。今回日本にもう一つ新たな閉店の名曲ができたなら、それは新たな歴史のスタートなのかもしれない。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月29日放送 23:06 - 23:55 テレビ東京
カンブリア宮殿USEN&U-NEXT 2度の危機から復活
サイバーエージェントの藤田晋は1997年に宇野が企業したインテリジェンスに入社した。以来宇野とは20年以上の付き合いがある。サイバーエージェントはインテリジェンス
のグループ企業からのスタートで、宇野が全面的にバックアップ。U-NEXTの前身の大阪有線放送社が創業したのは1961年。主にバーやスナックなどへのBGMの有線音楽放送を配信していた。その2年後に大[…続きを読む]

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.