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「守山乳業」 のテレビ露出情報

中山は心配性で名刺でもその数は尋常ではないほど多い。その名刺入れにはもしもの時にと1万円を忍ばせていた。いろんなことに注意医を払いながら大胆な戦略を駆使し会社を大きくしてきた。その始まりは1959年に父親が大阪で起こした工業用商材の問屋で業界最後発だったがドラム缶入のサビ止め剤を小分けに販売するなどし先行するライバルとは違った品揃えで客を増やしていった。中山は近畿大学を卒業後すぐに入社し、倉庫から始まり配送や経理などじっくり現場を経験し体で覚えていったという。次第に大きくなったのがライバル会社に追いつきたいという気持ちで先輩になぜ追いつけないのか聞いてみると先輩は付き合っている交際費が違うと言ったという。しかし中山はそれに疑問を感じたという。接待ではなく必要な商品を届けることが大事だと、客のニーズを追求することが後の経営の原点に。1994年に35歳で中山は二代目社長に就任した。会社はどこに向かうべきか?10日間社長室にこもって考えた。そこで打ち出したテーマが「頑張れ!!日本のモノづくり」。教科書にはない在庫を大量にもち即納する。常識破りの戦略を進めていく。
四年前にはこれまでの戦略を進化させたサービスをスタート。取引先の製造現場ではゴム手袋が切れたというが、製造スタッフが向かった先にはMROストッカーという商品を買い手の倉庫で保管するサービスが。必要な時に端末で読み取るだけで必要な分だけ買うことができるという。参考にしたのは富山の置き薬。欲しい時にほしい分だけとれる究極の即納。こうしたシステムに中山は昨年末の時点で1203件が利用してもらっているというが悪い点はほとんどないという。ここで中山の経営哲学を紹介。持つ経営については変えるものはすべて買う方針で会社の大動脈は他人資本に依存しないことだという。また善をもらう経営では正しいことやいいことを選び、判断基準がないとダメだと父親に学んだという。教科書にない経営については教科書通りでうまくいくなら世の中は成功者で溢れているはずだというがそうではないと答え、誰もが思いつかないことを考え誰もが進まない方向に進めることが大事だと答えた。
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