ぼくらの七日間戦争の作者が先月95歳で亡くなった宗田理さん。名古屋市の自宅で見つかった宗田理さんの手描きの草稿の題名は「雲の涯」。後のこれをもとにした小説も発表された。宗田さんは学徒動員で鉄工所での魚雷づくりを命じられ、爆弾を持って飛び込む特攻訓練を指示されたという。17歳で迎えた終戦。子どもを戦争に巻き込んだ大人が態度を一変させ、アメリカにすり寄るような姿を見せたことに、宗田さんは強い憤りを感じたという。宗田さんの次男の宗田律さんは「(宗田さんは)大人の言うことを聞いて自分の命を投げ出そうと思わされていたことが悔しかった」等と話していた。子ども達を苦しめる戦争を二度と起こしてはならないという変わらぬ思いがあった。