宮浦健人選手の最大の武器はジャンプサーブ。先日のネーションズリーグでは、3位決定戦でサービスエース7本を奪う驚異的な活躍を見せ、主要国際大会46年ぶりのメダル獲得に貢献した。ビッグサーバーへ成長した宮浦選手は、ここまでの道のりにはある経験が支えとなっていた。熊本で生まれ、バレー経験者の父を持ち、高校は名門・鎮西高校に進学。そこで地道な練習を積んだ宮浦選手は、2年生のときに春高バレー準優勝、3年生でキャプテン就任という順風満帆なバレー人生を歩んでいた。しかし、2016年4月に熊本を襲った最大震度7の大地震で鎮西高校も大きな被害を受けた。地震で体育館は全壊し、練習場所を失った。地震から10日後、練習場所はグラウンドしかなかった。そのグラウンドも他の部活動との兼ね合いで自由に使うことが出来ず、駐輪場でトレーニングするなどボールさえ扱えない日もあった。当時、宮浦選手は「体育館で出来るのが当たり前じゃないと感じた。限られた環境だがその中で一本一本しっかりやることが大切」などと語っていた。当時のことについて、本当に苦しくてもがいていたが自分たちに出来ることはなにかを考え、常に今自分にできることは何かと考えているので、あの経験が今にすごく生きているという。一昨年、代表初選出されるも同じポジションには西田有志選手が活躍し、東京五輪メンバーからは落選。悔しさを抱えながらも何をすべきかを考え下した決断は、ポーランドで武者修行。そこでサーブに磨きをかけると、リリーフサーバーとして活躍するまで成長。今や日本に欠かせない武器となった。宮浦選手は、一昨日のカナダとの強化試合では途中出場ながら、チームトップの15得点、アタック決定率76%にサービスエースを2本決めるなど絶好調だった。