1997年、J−フォンとSHARPによる共同開発が始まった。翌年、メールを送れる携帯電話第一作「J−SH01」を発表したが、基盤から部品が剥がれる故障が見つかり生産ラインを止める騒ぎに。NTTドコモがiモードを展開。インターネットに接続し、ニュースやエンタメ情報が楽しめるサービスで、半年で100万人の客が殺到した。J-PHONEは解約が相次いだ。そんな時、両親を箱根へ連れていくことに。富士山に驚く両親にカメラを向けた時、女性が携帯でなにかを打っているのが気になった。「この女性は絶景を誰かに伝えたいのではないか?」。高尾はカメラをつけることを提案。猛反対されても古巣のマツダへは戻らないと退職願を出して勝負に出た。極限までコンパクトになった携帯電話にカメラを入れる隙間などあるはずもなかったが、頼み込まれたSHARP山下は一人の男に目をつける。元々事務職だったが、独学で15年かけて技術職に異動を果たした宮内裕正。彼に設計を任せることにした。フレキシブル基盤に600以上の部品を並べる忍耐の戦い。2ヶ月後、試作が完成。しかしカメラを起動するとアンテナの感度が下がるなど50以上の不具合が報告された。