九州を疎開するため沖縄から多くの子供たちを乗せて出港した学童疎開船「対馬丸」。この船に当時9歳の平良啓子さんも乗船していた。対馬丸に乗っていた1788人は海に投げ出され、1484人が犠牲となった。啓子さんはいかだで6日間漂流。その後、無人島へ漂着。半年後、やっとの思いで沖縄へと帰るが、いとこの時子さんのお母さんに「あなたは元気で帰ってきたのに、うちの時子は太平洋に置いてきたの」との言葉をかけられた。戦後、啓子さんは小学校の先生になり、対馬丸の生存者として自らの体験を語り続けた。
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