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「マイダン革命」 のテレビ露出情報

ロシアによる軍事侵攻から2年、元記者のアナスタシアさんは「当初は半年ほどだろうと思っていました。今は先が見えません」と話す。戦争で命を奪われた子供たちを取材し、報道を重ねてきたが、市民の犠牲を記録するうちに追い詰められていった。ロシアに一時占領されたウクライナ東部に赴くと、住民から敵意を向けられた。現在は記者を退き、1年近く現場から遠ざかっている。2014年、市民が民主化を求めて蜂起し、新ロシア派の大統領を追放した。3年後、市民のための放送局として「ススピーリネ」が設立された。侵攻後、放送局が攻撃されても、放送を止めなかった。だが、アナスタシアさんの相棒ともいえる存在だった元カメラマンのビクトル氏は「テレビは次第に淡々とした歯車のようになった」と述べた。現在、カメラマン時代に培ったドローン操作を軍に教えている。
ブチャでは400人を超える市民が殺害されたが、ロシア側は虐殺を否定するプロパガンダを繰り返した。ビクトル氏は正確な情報を届けることに専心したが、殺害されて道端に転がった死体など惨禍を目にしても報じることはできず、メディアの限界を痛感した。さらに激戦地ほど、軍の許可が下りなくなり、軍の報道官によるコメントが増えていた。ススピーリネでは市外、徴兵により、108人が戦場に送られたが、2人が戦死した。アナスタシアさんには娘がいるが、友人たちが国内外に避難したままで、学校を休みがちになっていた。今年、兵士の死者が初めて公表されたが、約3万1000人にのぼった。女性たちは動員された夫、子供を家に帰して欲しいとデモ行進を続け、デモを取り上げもしないメディアを批判する。
アラ支局長はあるデモの映像を見せてくれ、女性たちは兵士の帰還を訴えていたが、自らの判断で放送しなかった。部隊の交代などの情報が敵軍に知られ、国家の安全に脅威となると懸念されたためだった。23年8月、支局長はロシア軍による砲撃の現場を取材した。約150人が負傷し、7人が犠牲となった。現場を目の当たりにした支局長は真実よりも優先されることがあると思い至った。ススピーリネのカメラマン、ユリアさんは同じカメラマンの夫を持つが、夫は軍に志願。戦争でロシア軍の捕虜となった。リモートでのやり取りで「軍の動員に応じないように知らせてほしい」と頼まれたが、ユリアさんはロシアのプロパガンダと判断し、応じなかった。その後、うつ病と診断され、仕事もできなくなった。だが、同じように家族が捕虜となった女性たちと知り合ったことで痛みを共有し、女性たちの苦しみを描くドキュメンタリーを制作している。厭戦につながると大手メディアが回避してきたテーマだが、家族が引き裂かれた人たちの本当の姿を見せたいという。
元カメラマンのビクトル氏は戦争で健康を損ない、元記者のアナスタシアさんは「戦時下で生きていることを実感するのは恐ろしいこと。戦争の現実を理解することが自分でさえできない」と話す。軍事侵攻直後、避難しようとする女性、2人の子供がロシア軍の砲撃で亡くなり、残された夫はのちに軍事訓練に参加した。アナスタシアさんはこの男性を肯定的に伝え、これが記者として最後のリポートとなった。私生活でシングルマザーのアナスタシアさんには、娘のダリアさんの他、息子のイリヤさんがいる。うつ病の診断を受けたイリヤさんはドイツで医学を学んでいる。アナスタシアさんは今回、取材に応じた理由について、「私たちの話を伝えてほしい。これが今の私にできること」、「悪に報いがあるように人々の思いもまた報われると思いたい」と語っている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年3月6日放送 0:35 - 1:25 NHK総合
NHKスペシャル(NHKスペシャル)
ロシアによる軍事侵攻から2年、元記者のアナスタシアさんは「当初は半年ほどだろうと思っていました。今は先が見えません」と話す。戦争で命を奪われた子供たちを取材し、報道を重ねてきたが、市民の犠牲を記録するうちに追い詰められていった。ロシアに一時占領されたウクライナ東部に赴くと、住民から敵意を向けられた。現在は記者を退き、1年近く現場から遠ざかっている。2014年[…続きを読む]

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