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「小川宏アナウンサー」 のテレビ露出情報

大久保佳代子が紹介するんは「郷ひろみのジャケットパフォーマンス史」。ジャケットパフォーマンスはいつから始めたのか?郷ひろみ本人もよく分かっていないという。フジテレビのアーカイブセンターで片っ端から映像を検索。1972年、郷ひろみが初めてフジテレビに出演したのはボウリング大会の番組。デビュー曲「男の子女の子」を歌っている映像を描くにすると、ジャケットパフォーマンスはなかった。1975年、「誘われてフラメンコ」ではジャケットのボタンを外していたが、ジャケットパフォーマンスはなかった。デビュー5年で24曲リリースしたがジャケットパフォーマンスは0。1977年にはジャケットすら脱いでしまっていた。夜のヒットスタジオでは金色のスケスケ衣装で熱唱していた。ラメ入りキャミソール、大量の銀粉という衣装だった。デビューから8年、ジャケットパフォーマンスはまだ0。1970年代後半、郷ひろみは衣装大破天荒時代に突入。調査を続けると、1982年、初のジャケットパフォーマンスを発見。
1982年、郷ひろみのデビュー10周年のとき、初のジャケットパフォーマンスを発見。「夜のヒットスタジオ」でタキシードを着て登場した郷ひろみは「女であれ、男であれ」でジャケットを裏返し、ジャケットの右裾払いをしたいた。この時は控えめなジャケットパフォーマンスだった。なぜ、ジャケットパフォーマンスをしたのか?誕生のきっかけは2つあった。理由の1つはアメトラの大流行。アメトラとは、アメリカントラディショナルのことでブレザーなどクラシックな衣装が大流行した。この流行がド派手だった郷ひろみの衣装をジャケットに戻したと考えられる。理由2つ目はアメリカ留学。郷ひろみはアメリカ留学で一流の振付師に師事されていた。振付師からは、人間は自分の体を触る仕草が一番セクシーに見えると言われた。そこで、郷ひろみはジャケットと自分の体を触る仕草をかけ合わせたジャケットパフォーマンスをはじめたと考えられる。
郷ひろみのジャケットパフォーマンスはここから一気に増加していく。「素敵にシンデレラ・コンプレックス」では右払い腰見せ、「FOOTLOOSE」では左半身脱ぎ、「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」ではアンダースローなどのジャケットパフォーマンスを見せていた。最も多かった技は何なのか?郷ひろみジャケットパフォーマンス回数ランキングベスト3を発表。3位は左半身開きで49回。2位は左半身脱ぎで50回。1位は右裾払いで85回。郷ひろみは元々は右利きだったが、54歳のときに体のバランスをとりたいからと左利きに変えた。結果、ジャケットパフォーマンスの左右比はほぼ同じになっている。
1990年代、ジャケットパフォーマンス冬の時代に入る。その原因はバラード3部作が大ヒット。僕がどんなに君を好きか、君は知らない、言えないよ、逢いたくてしかたないの3曲が大ヒットした。しかし、1999年に名曲「GOLDFINGER’99」でジャケット技が大放出される。曲中の振付では2カ所だったが、アドリブで追加して6回もパフォーマンスをしていた。GOLDFINGER’99で使用していたジャケットには秘密があった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年7月27日放送 20:00 - 22:00 TBS
まさかの一丁目一番地まさかの一丁目一番地 2時間SP
逸見政孝アナウンサーは43歳でフリーに転身した。長野智子は逸見に「自分らしく」とアドバイスをもらい、一念発起しニューヨークの大学院でニュースの勉強をしたという。逸見は48歳という若さでがんで死去した。
山村美智が登場。フジテレビ退社から39年、元祖芸人とからんだ女性アナウンサーという。1980年代は寿退社が当たり前の時代でフジテレビの雇用形態も今とは違った[…続きを読む]

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