旧優生保護法の元で不妊治療を強いられた原告の一人・鈴木由美さん。先天性の脳性マヒで手足に障害がある。12歳のときに突然母親に病院に連れていかれ、何も説明されないまま手術を受けさせられた。のちに子宮を摘出する不妊手術だったことがわかった。その後、20年近く寝たきりになった。旧優生保護法ができたのは1948年、当時戦地からの引き上げや出産ブームで人口の急増が社会問題となっていた。人口を抑制する必要があるとして障害のある子どもは生まれてこない方がいいという優生思想の元、不良な子孫の出生を防止すると法律に明記された。この条文が無くなるまでの半世紀近くで不妊手術を受けたのは約2万5000人。鈴木さんは42歳のときに、ヘルパーだった男性と結婚。子どもは産めない体だと伝えていた。しかし、数年後に離婚した際に夫から子どもがいたら離婚しなかっただろうと言われた。国への訴えがはじめて起こされたのは6年前、39人の原告のうち6人がきょうの判決を見ることなく亡くなった。
原告で聴覚障害がある小林宝二さん。同じ障害のある妻の喜美子さんとともに裁判を戦ってきたが、おととし喜美子さん亡くなった。20代の頃、結婚して間もなく喜美子さんが妊娠したが、親の反対で説明がないまま中絶させられ、不妊手術を強制された。きょう、最高裁は旧優生保護法は違憲だと歴史的判決をした。
原告で聴覚障害がある小林宝二さん。同じ障害のある妻の喜美子さんとともに裁判を戦ってきたが、おととし喜美子さん亡くなった。20代の頃、結婚して間もなく喜美子さんが妊娠したが、親の反対で説明がないまま中絶させられ、不妊手術を強制された。きょう、最高裁は旧優生保護法は違憲だと歴史的判決をした。