2024年7月3日放送 19:30 - 20:00 NHK総合

クローズアップ現代
“子を産み育てたかった” 旧優生保護法判決の問いかけ

出演者
桑子真帆 
(オープニング)
最高裁が“歴史的判決” 旧優生保護法は「違憲」

障害などを理由に本人の同意がなくても不妊手術を認めていた旧優生保護法。きょう最高裁は憲法違反と判断した。しかし、子どもをほしいと望みながら、今も避妊処置を受ける障害者が少なくない。

キーワード
最高裁判所
オープニング

オープニング映像。

“子を産み育てたかった” 旧優生保護法判決の問いかけ
最高裁が“歴史的判決” 旧優生保護法が奪ったもの

旧優生保護法の元で不妊治療を強いられた原告の一人・鈴木由美さん。先天性の脳性マヒで手足に障害がある。12歳のときに突然母親に病院に連れていかれ、何も説明されないまま手術を受けさせられた。のちに子宮を摘出する不妊手術だったことがわかった。その後、20年近く寝たきりになった。旧優生保護法ができたのは1948年、当時戦地からの引き上げや出産ブームで人口の急増が社会問題となっていた。人口を抑制する必要があるとして障害のある子どもは生まれてこない方がいいという優生思想の元、不良な子孫の出生を防止すると法律に明記された。この条文が無くなるまでの半世紀近くで不妊手術を受けたのは約2万5000人。鈴木さんは42歳のときに、ヘルパーだった男性と結婚。子どもは産めない体だと伝えていた。しかし、数年後に離婚した際に夫から子どもがいたら離婚しなかっただろうと言われた。国への訴えがはじめて起こされたのは6年前、39人の原告のうち6人がきょうの判決を見ることなく亡くなった。

原告で聴覚障害がある小林宝二さん。同じ障害のある妻の喜美子さんとともに裁判を戦ってきたが、おととし喜美子さん亡くなった。20代の頃、結婚して間もなく喜美子さんが妊娠したが、親の反対で説明がないまま中絶させられ、不妊手術を強制された。きょう、最高裁は旧優生保護法は違憲だと歴史的判決をした。

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小林喜美子最高裁判所
旧優生保護法は「違憲」最高裁判決の意義とは?/旧優生保護法は「違憲」今後求められることは?

きょうの最高裁大法廷の違憲判決。不妊手術を強制することは差別的な取り扱いで個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反するとし、国に賠償を命じた。原告を支える活動を行う藤原久美子さんは、判決を受けてやっとという思い、高齢の原告には大きなを負担だったと思うと話した。国は2019年に被害者に一時金を支給するという法律ができた。きょうの判決では、旧優生保護法が無くなった後も国が責任を否定する態度をとり続けたことについて厳しく批難している。藤原久美子さんは今後は、被害を全て明らかにすること、再発防止のための警鐘が必要、被害に見合った賠償をしていくべき、何より謝罪が必要だとした。優生保護法で不妊手術を受けた人は約2万5000人、1996年に優生保護法は母体保護方になり、強制的な不妊手術を認める条文が削除された。

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最高裁判所
“子を産み育てたかった” 制度の壁と残された課題

知的障害などがある須藤哲也さんと留美子さん。旧優生保護法の改正後、30代のときに2人とも避妊処置を受けた。お金の管理など日常生活に支援が必要なため、障害者向けのグループホームで暮らしている。パン工場で一緒に働く中で交際をはじめた。当時、2人が交わした手紙には子どもを産んで育てたいと書かれていた。国からの報酬でグループホームが支援できるのは原則18歳以上。子どもが生まれても支援の対象外となる。グループホームを運営する樋口英俊理事長は今の国の制度では2人の子育てを支えられないと考えている。入居者や家族が希望した場合、避妊処置を紹介することがあるという。哲也さんの姉の美奈子さんは弟に代わって自分が子育てをすることも考えたが家族の反対を受けてやむなく避妊処置を提案したという。哲也さんと留美子さんは悩み続けた。5年以上にわたる話し合いの末、避妊処置は必要だと考えるようになった。

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あすなろ福祉会江差町(北海道)
今も続く“避妊処置”なぜ?取材に応じた施設側は

去年、北海道が行った調査では、避妊処置を受けた障害者は14の施設で25人だった。今回、これ以外の施設でも入居者が避妊処置を受けていたことがわかった。取材に応じた施設側は、本人の合意の元で行われたというが、それが本心であったかは分からないという。

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北海道
子ども産み育てる選択 あるべき支援とは?

子ども産み育てる選択をした障害者もいる。土屋正己さんと幸子さん夫妻は娘のはるかさんを育てている。土屋さん夫妻は読み書きやお金の計算に支援が必要でグループホームで生活している。施設の責任者・金谷さんは妊娠がわかった後、2人から相談を受けたという。涙を流して産みたい、育てたいと言われたという。子育てを支えることになったグループホームでは独自の支援体制を作った。はるかさんが保育園に入るまでは、スタッフが24時間子育てを見守る体制をつくった。その人件費や交通費は国からの報酬がないため施設側の負担となる。土屋さん夫妻は工場で働き、毎月20万円ほどの給与から子どもの生活費をまかなっている。はるかさんが生まれて11年、金谷さんは障害者が子育てをすることに対する根強い偏見を感じているという。土屋さん夫妻がメディアに出ると、SNS上では誹謗中傷が相次いだという。

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上州水土舎群馬県
障害のある人の“選択” 今なお残る差別と偏見

障害者が子どもを産み育てることに対して、今も差別と偏見がある。藤原久美子さんは大前提として子どもがいることだけが幸せではなくて、産む産まないを選ぶことも尊重されるべき、その上で障害者が産みたいとなったときに尊重されるべき。藤原さんも妊娠したときに、医師と親族から中絶をすすめられたという。それはあなたが苦労しないためだと言われたという。すぐに差別だとは思わなかったが、元々障害者がある力も奪われてしまうと話した。障害者の子育ては、地域のボランティアや 保険師によるサポートがある、行政と支援者を結ぶソーシャルワークを実践しているところだという。藤原さんは誰しもが一方的に助けられる、助けるはないと思うと話した。障害者の子育てを調査している田中恵美子さんは国内で差別を訴えることができる人権機関の設立が必要だと話した。

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