戦国日本の覇者として知られる織田信長は元々は小国・尾張の一領主に過ぎなかった。しかし、桶狭間の戦いで海道一の弓取りと呼ばれた今川義元を打ち破ったのを機に頭角を現す。その後も戦いに明け暮れ、長篠の戦いでは大量の鉄砲を用いて武田家に勝利。戦いを通じた勢力拡大の中で信長はいくつもの城を築いていた。第一の城は1563年、29歳の時に初めて築いた小牧山城。今、大掛かりな発掘調査が進んでいる。長い間、この城は当時一般的だった土の城と考えられてきた。調査の結果、信長時代の石垣が大量に出土した。当時石垣は京の都の寺院などで用いられていて、極めて珍しいものだった。小牧山城の石垣は後の時代の石垣に比べて格段に低く、防御力もそれほど高くなかったと考えられている。その一方で重い石を積み上げていく作業は土や木に比べて大きな手間と時間がかかる。上空と地上から山全体をスキャン、最新3D技術を駆使して石垣の全貌を明らかにしようと試みた。石垣の積み方に技術的な限界が示されていたが、一気に高い石垣を築いたような見え方をしているという。信長公記には小牧山に城ができていくのを見て敵方は勝ち目がないと判断して城を明け渡したという記述がある。
住所: 愛知県小牧市堀の内1-1