山本昌邦氏は23年、JFAナショナルチームダイレクターに就任。代表チーム全体を統括する立場だが、選手に寄り添い、困り事に耳を傾けたりする。ブラジルに勝利というマイアミの奇跡を起こしたアトランタ五輪ではコーチを務めていた。97年、ワールドユースで日本はガーナに敗戦。翌年、アジア最終予選で日本はジョホールバルの歓喜を起こし、フランスW杯に出場した。ガーナ戦とイラン戦のピッチが同じ場所で、山本氏は「地の利があった」と振り返った。サポーターもホームスタジアムのような雰囲気をつくってくれたという。2002年の日韓ワールドカップで、フィリップ・トルシエ監督は自国開催というプレッシャーのなか、初のベスト16に導いた。トルシエ氏はピッチ上では鬼のような形相をしているが、外では選手の家族にまで気を配っていた。失敗も含めた豊かな国際経験を日本代表にもたらしてくれたという。
柿谷はブラジルW杯を振り返り、W杯優勝を掲げる海外組とで温度差を感じたという。月日とともに実績を重ねてきた日本代表は世界最速で北中米W杯への切符を手にした。だが、9月の親善試合で日本はメキシコに引き分け、アメリカには敗北した。1得点も奪えなかった。
柿谷はブラジルW杯を振り返り、W杯優勝を掲げる海外組とで温度差を感じたという。月日とともに実績を重ねてきた日本代表は世界最速で北中米W杯への切符を手にした。だが、9月の親善試合で日本はメキシコに引き分け、アメリカには敗北した。1得点も奪えなかった。