TVでた蔵トップ>> キーワード

「小野田寛郎少尉」 のテレビ露出情報

1972年10月にフィリピンで旧日本兵とフィリピン警察との間で銃撃戦が発生し、小野田寛郎少尉が逃亡した。日本政府は現場となったルバング島に捜索隊を派遣したが、小野田さんの捜索は難航した。小野田さんはスパイの養成機関・陸軍中野学校の二俣分校の出身。同期だった井登慧さんは「生き延びて任務を完遂せよと命令された」などと話した。小野田さんは二俣分校での教育の影響で「出てきたら殺される」と思い出てこなかったという。捜索は3度行われたが、小野田さんを見つけることは出来なかった。しかし冒険好きの鈴木紀夫さんが単身ルバング島に赴き、小野田さんの目撃情報があった場所でキャンプを行った。鈴木さんに気付いた小野田さんは銃を持って近づき、鈴木さんは震えながら日本へ帰るよう説得。小野田さんは上司の命令文があれば投降すると約束した。そして当時の上司だった谷口元少佐が現地に向かい、小野田さんに任務解除の命令を下した。捜索隊に参加していた大野拓司さんは小野田さんの心境の変化について「50歳となって心理の変化があったと思う。命令で残れと言われたのだから命令を解除してくれれば私は正々堂々と帰るとなったのではないか」などと話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年12月28日放送 9:54 - 16:30 TBS
報道の日日本の今がわかる!激動の100年ニュース
終戦から29年が経った1974年3月12日、“最後の日本兵”である小野田寛郎さんが帰国した。小野田さんは特殊任務を担う“別班”として終戦後もジャングルに潜み続けていた。

2025年12月6日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
戦死から9か月。軍神となった大舛の憲章運動は凄まじく、関係者が集まり座談会が行われ恩師・母校・実家などそれぞれをテーマにした特集が組まれ、大舛大尉傅の連載は136回に及び戦死した様が如何に壮絶だったかを強調した。戦死を美化する価値観は歌によっても植え付けられた。軍神は皇民化教育の徹底と強く結びついている。沖縄戦直前の3回忌が近づくと紙面には大舛の記事が掲載さ[…続きを読む]

2025年11月27日放送 20:15 - 20:42 NHK総合
クイズ 本当にあったことです!(クイズ 本当にあったことです!)
1974年の紅白歌合戦の映像を紹介し「森進一さんに起きているハプニングとは?」と出題された。正解は社会の窓が開いていた。

2025年8月16日放送 18:56 - 21:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!池上彰の戦後80年SP 日本の第二次世界大戦
1932年に日本は満州国を建国し、世界中から「侵略だ」と非難され孤立していた。ドイツでは1933年にヒトラー首相のナチス政権が誕生し、軍事力を強化するため国際連盟を脱退。ドイツと日本はソ連を警戒し、1936年に手を組んだ。1937年に日中戦争が開戦したがアメリカやイギリス、フランスソ連が中国の後ろ盾になったため、日本側では欧米への不満が高まっていった。193[…続きを読む]

2025年8月8日放送 18:30 - 21:58 フジテレビ
ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点(ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点)
1972年10月、フィリピンのジャングルでも一人の残留日本兵の大捜索が行われていた。当時そこで残留日本兵が銃撃戦を行い、一人が逃亡したとの報道が流れていたためである。小野田寛郎少尉は陸軍中野学校で厳しい訓練を受けた兵士だった。家族が呼びかけても中々姿を現さず、ついには高齢の父親までもが島に足を運び説得にあたった。小野田さんが姿を現したのは2年後で、元上官から[…続きを読む]

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.