ピンチに直面しながらも諦めずに大逆転を果たした家族の物語に迫る大逆転家族。カリスマ創業者が始めた下町のおもちゃ工場。その跡を継いだ娘が生み出したのは、父の時代には考えられなかった斬新な商品だった。やってきたのは東京・葛飾区。1966年創業のオビツ製作所。工場の中へお邪魔してみると、現在3代目社長を務める牧有里子さんがいた。キューピーは100年以上前にアメリカで生まれたキャラクター。その愛らしさが世界中で人気となり、日本でも大正時代からおもちゃなどが作られるようになった。この会社はそんなキューピー人形や様々なソフトビニール製品を約60年前から製造・販売している。ところが、約13年前に廃業の危機があった。しかし斬新な発想と家族の絆が生んだ下町大逆転物語があった。看板商品は社名の入ったオビツキューピー。その製作の様子を見せてもらった。この会社は独自の材料や人形の型を使い、熟練の職人が手作業で製作。型から引き抜けば形が完成。次は人形の顔に色を付ける。材料の調合から形作り、色付け、検品まで約50人の従業員たちが1つ1つ丁寧に作りあげている。そんな会社を語る上で欠かせない存在が、有里子さんの父で創業者の三郎さん。約50年前に三郎さんが作り会社の成長を支えたおもちゃがビニーボビー。販売総数100万個以上というおもちゃの大ヒットの秘密は、三郎さんの行動力にあった。さらに約25年前に作ったもう1つの看板商品は、オビツボディという人形の素体。オビツボディは36か所の関節があり、洋服を着せたりメイクなどをしたりして遊べる人形。動きの自由度や保持力などが評価され、特許も取得。海外でも人気を誇り、等身大サイズの改良版は救助訓練にも使われている。アイデアマンで自ら営業もこなすおもちゃ作りのカリスマだったという三郎さん。有里子さんは大学卒業後、大手レコード会社で働いていたが、兄弟も別の業界へ進んだことを受け、誰も継がないのはもったいないと、2011年にオビツ製作所に入社。
しかし、そこで感じたのは会社の不穏な空気。自分にも回りにも厳しい三郎さんに従業員たちは萎縮。仕事中の社内は会話がなく、張りつめた空気が漂っていた。有里子さんと従業員の間にも溝ができ、何をすべきかわからない状態になった。そうして1年半が過ぎた頃、会社にとって最大の悲劇が行った。前日まで仕事をしていた三郎さんが旅行先で倒れ、突然帰らぬ人になった。オビツ製作所といえば三郎さんというイメージも強く、関係者から「あの会社はもう終わり」と囁かれることもあった。せめて従業員に迷惑をかけぬよう、退職金を払える内に会社を畳もうと決断。しかし従業員のある言葉によって会社の存続を決意した。それが大逆転ポイント。父が残した信念と絆。有里子さんの背中を押したのは古くから働く従業員たちだった。そこで疑問に思ったのは、厳しい三郎さんの元でなぜ従業員たちは働き続けてくれていたのか。仕事に対して厳しい三郎さんだったが、それ以上に家族や人を大切にするという信念があった。そんな信念が従業員たちにも根付いており、どんなに厳しくても一緒に働き続ける強い絆を生んでいた。三郎さん亡き後に有里子さんたちが開発したまさかの商品が、フル可動QP。持ち道具や洋服、髪の毛なども多様に展開すると、前代未聞のシュールな姿が話題を呼び、イベントでは初出品で即完売。今では海外からの注文もある。他にもかぶりものをしたキューピー人形や、職人技が光る透明なキューピー人形も。さらに石川県金沢の職人とコラボした金箔キューピー人形など、斬新な商品を次々と開発。開発のキッカケは従業員同士の雑談。自分には父のようなカリスマ性はない。ならば仲間の力を目一杯借りようと、積極的に会話を増やすことで発言しやす環境にした。かつては会話もなく重い空気が漂っていた社内が、今では明るく笑顔があふれる空間になった。それが斬新な商品開発につながることで、売り上げは有里子さんが入社した当時に比べて倍以上に大逆転した。有里子さんが新たに掲げた企業理念は、「人のしあわせを形づくる」。
しかし、そこで感じたのは会社の不穏な空気。自分にも回りにも厳しい三郎さんに従業員たちは萎縮。仕事中の社内は会話がなく、張りつめた空気が漂っていた。有里子さんと従業員の間にも溝ができ、何をすべきかわからない状態になった。そうして1年半が過ぎた頃、会社にとって最大の悲劇が行った。前日まで仕事をしていた三郎さんが旅行先で倒れ、突然帰らぬ人になった。オビツ製作所といえば三郎さんというイメージも強く、関係者から「あの会社はもう終わり」と囁かれることもあった。せめて従業員に迷惑をかけぬよう、退職金を払える内に会社を畳もうと決断。しかし従業員のある言葉によって会社の存続を決意した。それが大逆転ポイント。父が残した信念と絆。有里子さんの背中を押したのは古くから働く従業員たちだった。そこで疑問に思ったのは、厳しい三郎さんの元でなぜ従業員たちは働き続けてくれていたのか。仕事に対して厳しい三郎さんだったが、それ以上に家族や人を大切にするという信念があった。そんな信念が従業員たちにも根付いており、どんなに厳しくても一緒に働き続ける強い絆を生んでいた。三郎さん亡き後に有里子さんたちが開発したまさかの商品が、フル可動QP。持ち道具や洋服、髪の毛なども多様に展開すると、前代未聞のシュールな姿が話題を呼び、イベントでは初出品で即完売。今では海外からの注文もある。他にもかぶりものをしたキューピー人形や、職人技が光る透明なキューピー人形も。さらに石川県金沢の職人とコラボした金箔キューピー人形など、斬新な商品を次々と開発。開発のキッカケは従業員同士の雑談。自分には父のようなカリスマ性はない。ならば仲間の力を目一杯借りようと、積極的に会話を増やすことで発言しやす環境にした。かつては会話もなく重い空気が漂っていた社内が、今では明るく笑顔があふれる空間になった。それが斬新な商品開発につながることで、売り上げは有里子さんが入社した当時に比べて倍以上に大逆転した。有里子さんが新たに掲げた企業理念は、「人のしあわせを形づくる」。
