ヒコロヒーの極上トークメニュー1つ目は「ほろ苦い思い出 下積み時代の話」。ヒコロヒーは芸歴14年目。10年は下積みで水商売のアルバイトをやって生計を立てていたという。映画を作る人かラジオを作る人になりたくて学園祭に出演したら、複数の芸能事務所から名刺をもらった。その中から山田洋次監督でおなじみの松竹芸能を選んで、指定された場所へ行ったら養成所だった。ヒコロヒーは声が通らないので、マイクさえ拾ってくれて勘のいいディレクターが使ってくれればいいと思うようになり、声を張らなくなったという。ヒコロヒーはカクカクしている文字が好き。好きなカタカナを集めたらヒコロヒーになったという。辛かった仕事を聞かれると、トイレがない山のロケと答えた。ももクロが一番つらかったのは箱の中身を当てるクイズで虫を一気に放たれたことだという。下積み時代のヒコロヒーは食生活も過酷だった。小麦粉を水に溶いたものをフライパンで焼いて食べていたという。