天正12年、秀長は小牧・長久手の戦いの最中、それまでの長秀から秀長へと名前を改めた。織田信雄と徳川家康の軍は、かつて織田信長が城を築いた小牧山(愛知県小牧市)で合流し、陣を構えた。頂上付近には、信長時代の石垣が復元されている。家康は決戦に備えて城の守りをより強固にするため、山の麓に土塁をめぐらすなど改修を行った。対する羽柴軍は、三河に向けて進軍中、徳川軍の攻撃を受ける。激戦となった長久手の地では、重臣として織田家を支えた池田恒興とその息子・元助が戦死。親子を供養する碑が建てられ、今も大切に守られている。最終的に信雄との和睦により終わり告げた小牧・長久手の戦い。豊臣兄弟はこの戦で、織田家に代わり天下人となったことを示した。
住所: 岐阜県岐阜市夕陽丘4
