昭和45年に博多華丸が誕生した。父の岡崎和海は家でも包容力を見せており、妻の弘子を大事にしていたという。子供が成長すると弘子は知人に誘われて化粧品のセールスをするようになったという。博多華丸は両親が共働きだったので、祖母のスガに預けられることが多く、成長するとスガに似た明るさを見せるようになったという。福岡大学に進むと落語研究会に出入りするようになり、そこで博多大吉と出会い漫才をするようになったという。その後は平成2年に芸人デビューした。ただそうした中で母の弘子が不慮の事故で48歳で亡くなってしまったという。スタジオでは母について博多華丸は「48歳は若かった」と語った。