- 出演者
- 寺門亜衣子 今田耕司 博多華丸(博多華丸・大吉)
オープニング映像。
スタジオにゲストの博多華丸が登場。博多華丸は「怖いもの見たさのようなものがある」と番組出演について語った。
博多華丸の父方の岡崎家のルーツを辿る。父の岡崎和海は土木工事会社の社長を務めていた九州男児だという。先祖をたどると4代前が村一番の地主だということがわかった。ただ跡継ぎがいなかったので名家の次男を養子に迎えた。そんな曽祖父は馬喰や株で資産を築いていった。祖父の岡崎徳雄は戦争に行ったが、その後はGHQによる農地改革によって岡崎家の農地は国に安く買い取られてしまったという。そのため岡崎徳雄は酒に溺れるようになったという。そんな父を反面教師にして息子の岡崎和海は成長していった。
岡崎和海は大濠高等学校に入り、その後は福岡大学を卒業した。大学卒業後は土木工事会社を起業して会社の仕事は増えていった。27歳になった岡崎和海はお見合いで弘子と出会った。
博多華丸の母方の菰田家のルーツを探る。曽祖父は福岡県の飯盛で生まれており、息子の菰田幸雄は少年時代から家事をやってきたという。菰田幸雄は結婚後に戦争に出征して苦労し、なんとか帰ることができた。ただ戦争後に菰田幸雄は人格が変わってしまったという。そして昭和22年に弘子が誕生した。弘子は21歳の時に岡崎和海とお見合いをして結婚した。スタジオでは博多華丸が「祖母は明るい人だった」と語った。
昭和45年に博多華丸が誕生した。父の岡崎和海は家でも包容力を見せており、妻の弘子を大事にしていたという。子供が成長すると弘子は知人に誘われて化粧品のセールスをするようになったという。博多華丸は両親が共働きだったので、祖母のスガに預けられることが多く、成長するとスガに似た明るさを見せるようになったという。福岡大学に進むと落語研究会に出入りするようになり、そこで博多大吉と出会い漫才をするようになったという。その後は平成2年に芸人デビューした。ただそうした中で母の弘子が不慮の事故で48歳で亡くなってしまったという。スタジオでは母について博多華丸は「48歳は若かった」と語った。
平成17年に博多華丸・大吉は活動拠点を東京に移した。そこで活躍する博多華丸を見て、叔父の岡崎秀人さんは先祖の岡崎廣の面影を重ねるようになったという。博多華丸・大吉は東京で人気になってからも、福岡の地域番組に引き続き出演している。息子の夢を応援した弘子さんが生前に息子に鼓舞した音声が残っており流された。そして父の岡崎和海は妻と子供への思いについて「いちばんは感謝」と語った。
番組の次回予告。
アナザーストーリーズの番組宣伝。