今月8日は旧日本軍がハワイ真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まった日。太平洋戦争では旧日本軍が敵に目がけて飛行機などで体当たりした特攻特別攻撃が行われ、その最初の実施からことしで80年。特攻隊員の遺品などを展示している茨城県笠間市の筑波海軍航空隊記念館では特攻を命じた人物に焦点を当てた企画展が今月から開かれている。展示の中心は人間爆弾と呼ばれた特攻専用の兵器、桜花を運用していた神雷部隊に関するもの。この部隊のトップだった岡村基春司令はパイロット出身の海軍士官で戦況が悪化すると軍の上層部に特攻作戦を進言したとされている。終戦から3年後の1948年、48歳で自殺した。展示を企画した記念館の金澤大介館長は命じた側に焦点を当てた展示は初めてで岡村司令の日記や心中を示すものが見つかっていない中、どう紹介するか悩んでいた。企画展を前にして金澤は高知市に住む岡村司令のおいを訪ね、どんな人物だったと伝わっているのかを聞いた。金澤は最後に展示にあたっての意見を求めたところ「どんなことがあっても英雄みたいな扱い方は絶対にしてほしくない」と答えた。家族を大切にし、仲間からも慕われていたという岡村司令。しかし、特攻を命じる前と命じたあとの心情を明らかにしたものは残されておらず金澤は事実を淡々と展示することにした。企画展の初日、県内外から見学者が訪れた。企画展では岡村司令の人生を時系列に紹介している。太平洋戦争が始まる以前は仲間と笑顔でカメラに収まっている写真が何枚もある。岡村司令の心中を知る手がかりは残されていないがそれでもどうして特攻が行われたのか、これを知ろうとする姿勢が求められている。この企画展は来年3月まで開かれている。