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「島秀雄」 のテレビ露出情報

大正14年、現在のJRグループの前身・鉄道省に入省した島秀雄。29歳の若さで蒸気機関車の設計主任となった秀雄が昭和10年に手掛けたのがD51形蒸気機関車。最高時速は85キロ。その後、D51は1115両が製造され、SLの傑作として今なお語り継がれている。この頃、輸送量は増え続ける一方。いずれ限界に達するのは明らかだった。そこで新たな路線をつくる計画が立ち上がる。それが東京~下関間新幹線計画。俗に言う弾丸列車計画。最高時速150キロ以上という当時としては極めて高速の列車を走らせ、18時間半かかっていた東京~下関間を9時間で結ぼうという計画。この計画の責任者だったのが秀雄の父・安次郎だった。親子二代の夢を乗せた計画は実現に向けて全速力で走り続けていたが、太平洋戦争が勃発し、弾丸列車計画は中止となった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月27日放送 12:54 - 14:00 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
日本の象徴とも取れる新幹線だが、東海道新幹線は利用者は約70億人に対し乗車中の死亡事故は未だ0件と高い安全性が見られる。新幹線の計画が持ち上がったのは昭和30年ごろのことで、戦後の高度経済成長に湧き上がる中東京-大阪を結ぶ東海道線の輸送量も増加を続けていたことがある。この問題に国鉄総裁・十河信二は200kmで東京大阪間を結ぶプランを打ち出した。その課題は20[…続きを読む]

2025年4月24日放送 20:15 - 20:42 NHK総合
熱談プレイバック新幹線 誕生物語
昭和30年代に入ると、すでに東海道線の輸送力は限界に達しつつあった。そこで国鉄総裁の十河信二は輸送力を強化するために東京~大阪間に新幹線を通し、そこに世界最速の電車を走らせようと考える。そこで島秀雄が注目したのが小田急ロマンスカー 3000形SE車。実はこの車両、国鉄と私鉄の技術者が共同で開発したもので、秀雄も関わっていた。秀雄は東海道本線の線路を使った30[…続きを読む]

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