ブライトン・三笘薫選手の恩師2人を直撃。三笘選手は9歳から川崎フロンターレの下部組織に所属。そのクラブの方針がプレイスタイルに大きく影響しているという。当時の監督の後藤さんは「1対1や対人の練習をかなり多くやっていた」などと話した。そのドリブルは進学した筑波大学でさらなる進化を遂げる。筑波大の小井土監督は「止まる技術の向上でスピードがより生きるようになった。陸上の先生からいかに自分の体を自在に操るかを学んでいた」などと話した。三笘選手は筑波大時代に天皇杯でプロ相手に60m独走ドリブルからの衝撃ゴールを決めてみせた。またチェルシー相手に見せた神トラップからのゴールについて、そのトラップの原点となったのがジュニア時代のトレーニングだという。後藤さんは「自分の身長より高いボールでリフティングしたり、空間認知能力向上のためキャッチボールなどをしていた」などと話した。さらに三笘選手のマインドについて小井土監督は「試合後は飲み会には参加せず回復を優先していた」などと話した。