新潟・小千谷市の朝日山には新政府軍と奥羽越列藩同盟軍の戦いの痕跡が残され、少ない時間と労力で塹壕をつくっていたという。山中では小規模の塹壕が40ヵ所見つかり、敵の侵入に合わせて塹壕を移動し、戦うことが可能。これにより、同盟軍は兵力差をカバーしていたという。銃弾も多数発見され、最新鋭だったイギリスのエンフィールド銃と判明。さらに会津藩は熊本藩と連携し、熊本藩が挙兵するという計画もあったという。当時、薩摩など一部の藩が権力を牛耳っていて、公平な話し合いを求める意見書が見つかっている。同盟軍は諸藩の間に渦巻く不安を察知し、味方を募ろうと図っていた。
住所: 山形県米沢市中央1-10-6