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「平和公園」 のテレビ露出情報

MISIAはこれまでにNHK紅白歌合戦に8回出場した。初出場は2012年で、ナミビアのナミブ砂漠から生中継した。ナミブ砂漠は世界最古の砂漠と言われ、本番当日の朝に雨が降っていた。パフォーマンスにあたっては好条件に恵まれたという。2015年は故郷の長崎にある平和公園から歌唱を披露。同年の夏に「いのちのうた」に出演し、原爆の爆心地に近かった長崎市立城山小学校を訪問した。アニメ主題歌「オルフェンズの涙」の制作を手掛けるなか、学生たちから戦争の惨禍について聞いていた。MISIAはみんなの想いを代表して届けることを自負しているという。
2018年の紅白ではNHKホールから、「アイノカタチ」を披露。MISIAはサプライズで人々を楽しませたいと、デビュー曲「つつみ込むように…」も届けた。実はかなり緊張し、いつもよりロングトーンが続かなかったという。翌年は紅組の大トリを任され、いろいろなジェンダー、セクシュアリティの人々が生きやすい世界、愛が満ち、幸せになることを願い、日本で活躍するドラァグクイーンたちを招聘した。
2020年はコロナ禍ということで無観客でのパフォーマンスとなった。だが、MISIAは出場アーティストたちからいいものを届けようとする熱意を感じ、画面の向こう側にいる人達を抱きしめられるような気持ちが届けばと思っていたという。21年は東京国際フォーラムへ移して開催され、藤井風とコラボレーションした。MISIAはコラボを希望する手紙を認めたところ、藤井はすぐに快諾してくれたという。藤井の出演はシークレットだったため、他のアーティストが姿を見せない朝にリハーサルを行っていた。
22年、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まり、世界情勢は不安定に。同年末の紅白で、MISIAは希望の歌を届けたいと思い、平和への願いを込めた「希望のうた」を披露。作詞、作曲を矢野顕子が手掛けた。次の年が兎年ということで、ウサギを彷彿とさせる衣装にし、ダンサーたちとは「明日が楽しみと世界中の人が思えることは平和」という思いを共有していた。23年は影絵作家、藤城清治氏とコラボ。人々にとって新年が良い年になることを祈念し、本番へと臨んだ。MISIAにとって、紅白は垣根を取り払い、みんなを元気にする場所だという。今年は年始に地震が起き、世界情勢が緊迫化するなか、MISIAは「明日へ向かうエネルギー、希望を感じて貰えるような歌が歌えたら」と語った。
住所: 長崎県長崎市松山町9

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年3月23日放送 5:45 - 6:15 日本テレビ
皇室日記(皇室日記)
戦後、シベリア抑留の帰還者など約66万人を京都・舞鶴市で受け入れた。舞鶴引揚記念館で悠仁さまは地元高校生の説明に耳を傾けられた。小学1年の時には平和の礎、4年生で長崎に6年生で広島に足を運ばれ、犠牲者に哀悼の意を捧げられた。広島の訪問は悠仁さまの強い希望だったという。高校在学中、生物の観察や研究を続けられ、バドミントンなどスポーツにも打ち込まれた。成年を迎え[…続きを読む]

2024年12月28日放送 23:15 - 23:45 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
長崎市にやってきた石黒賢。異国情緒あふれる街で、石黒賢は長崎と縁があるという。その父は戦後日本初のプロテニス選手として活躍したという。そして昭和20年の8月9日には長崎にいて被爆経験もあるという。原爆が投下された場所は1995年に平和公園として整備された。そこにあるのが今日の作品。北村西望作の平和祈念像。高さ9.7m重さ30トンほどのブロンズ像。公園ができた[…続きを読む]

2024年10月12日放送 11:45 - 11:59 TBS
JNNニュース(ニュース)
今年のノーベル平和賞に、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が選ばれた。朝から多くの観光客や修学旅行生が訪れていた長崎市の平和公園では、ノーベル平和賞受賞の喜びと被爆者の活動をたたえる声が聞かれた。日本被団協は今回のノーベル平和賞受賞を受けてきょう夕方、会見を開く予定。

2024年10月11日放送 21:00 - 22:20 NHK総合
ニュースウオッチ9(ニュース)
広島・広島市内のホテルにいる日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)・箕牧智之代表委員に中継で話を聞く。箕牧代表委員は、今回の受賞、率直な受け止めは?「大きな歴史が、私の胸に届いたような気がした。体をちょっと治して、ぜひとも核兵器の廃絶について世界へ訴える機会を作りたい」、今回は核兵器使用のタブーの確立に大きく貢献したと、長年の活動が評価されたことについて「[…続きを読む]

2024年9月15日放送 5:45 - 6:00 フジテレビ
皇室ご一家(皇室ご一家)
秋篠宮家の長男・悠仁さまは6日、18歳の誕生日を迎えられた。皇室で男子が誕生したのは秋篠宮さま以来、41年ぶりだった。ご両親、年の離れたお姉さま方に見守られて育ち、戦後の皇室で学習院以外の小学校に通われたのは悠仁さまで初めてだった。昆虫への興味から生息環境に関心を持たれ、10歳の頃、御用地内に小さな田んぼを作られた。7歳の時に沖縄、3年後には長崎、広島に足を[…続きを読む]

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