2003年、黒川温泉の宿泊客は40万人近くに達していた。日帰り客も合わせ120万人。旅館は手が回らなくなった。手形を買ったのに風呂に入れなかったというクレームも殺到。まとめ売りを止めると一方的だと更に批判を浴びた。宿泊客は年に1万人ものペースは減っていった。そんな中、久美子にガンが見つかり熊本市の病院に入院になった。見舞いに駆けつけた長女の祐子は、大学卒業後は熊本市内のホテルで働いていた。そのとき、見つけたのは母が病床で結婚してからの日々を綴った手記だった。手記を見た祐子は旅館を継ぎたいと思った。同じ頃、健吾の娘、麻友も大学院を辞め家業を継ぎたいと地元に帰ってきた。気がつけば3代目世代となる子どもたちが、続々と黒川に帰っていた。リーダーとなったのは年長格の北里有紀だった。有紀は黒川の先行きに焦りを感じていた。手形で卓球をするイベントなど連発したが手応えはなかった。ある日、有紀は哲也に「1日1回自分の旅館を正面から眺めなさい」と言われた。2016年、熊本地震が発生し黒川から客が消えた。地域全体で収入が途絶える初めての事態だった。北里はできることをやろうと皆に呼びかけた。一致したのはいまこそ地元を学ぼうということだった。アイデアをぶつけ合う中で気づいたことがある。それは大事なものを受け継いでいたこと。先代が築き上げたものは景観とか手形とかではなく、地域でやっていくんだってことを当たり前にしてくれたことだった。コロナ禍でさらに3年客足が遠のいた。それでも励まし合い地元の学びを続けた。コロナ明け、客は以前と同じように戻ってきた。いま宿泊客は年30万人。小さな温泉地は満室が続く。北里はいまも教えの通り、自分の旅館の正面に立っている。