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「平賀源内」 のテレビ露出情報

テーマは「江戸文化の仕掛け人・蔦屋重三郎」。いま注目されている江戸時代のメディアプロデューサー・蔦屋重三郎。現在でも有名な浮世絵師を世に送り出しただけでなく、名作を生み出した多くの作家へ影響を与えた。今回は様々な偉人と交流し、新しい江戸文化を築いた蔦屋重三郎の偉業について調査した。東京・台東区東浅草にある誠向山正法寺は蔦屋重三郎の墓碑がある菩提寺。このお寺で歴史作家・時代考証家・山村達也さんに話を聞いた。山村さんは「蔦屋重三郎は江戸の出版プロヂューサー。ヒット作やスターを次々と世に送り出した人物」などコメント。
蔦屋重三郎について歴史作家・時代考証家・山村達也さんに話を聞いた。蔦屋重三郎プロデュースその1「斬新な画風で大ヒット!東洲斎写楽」。当時、写楽は無名の新人だったが、デビュー作を28枚同時に発売するという戦略で大きなインパクトを与えることに成功。当時の一般的な役者絵は格好よく美化して描くものだったが、写楽の役者絵は顔のしわなども描き、特徴を誇張させる絵だった。わし鼻の役者の場合を紹介。
蔦屋重三郎について歴史作家・時代考証家・山村達也さんに話を聞いた。蔦屋重三郎プロデュースその2「美人画の新しい画風・喜多川歌麿」。当時の浮世絵は美人画が人気だった。大首絵とは上半身だけを描き、顔の表情がよりリアルにわかるようにしたもの。当時の美人画は着物の美しさを目立たせるため全身を描くのが一般的だったが、歌麿に描かせたのは女性の表情がよりわかる上半身の絵を描かせた。実在する女性をモデルにして大ヒットさせた。今でいう会いに行けるアイドルを蔦重が仕掛けていた。女性たちが勤めているお店に客が殺到し、幕府からも行き過ぎだと指導が入ったという。
蔦屋重三郎について歴史作家・時代考証家・山村達也さんに話を聞いた。多くの人気絵師をプロデュースした蔦重はその後、蔦屋耕書堂という今で言う書店を開いた。蔦屋耕書堂はプロデュースした作品を中心に販売し大繁盛。蔦重は若き日の葛飾北斎との交流もあり、若いころの北斎の作品を出していた。
蔦屋重三郎は平賀源内や十辺舎一九、「南総里見八犬伝」の曲亭馬琴など時代を代表するスター軍団との交流も深かった。次回は蔦屋重三郎の幕府にも睨まれたという人生を送る。蔦屋重三郎の真実が特集されている月刊「歴史人」2月号は全国の書店、ネット書店にて発売中。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月17日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!ZIP!ALL TOPICS
成田空港の近くにあるうなぎ輸入業者にはきのうだけで台湾産や中国産のうなぎ約2トンが届くなどうなぎの輸入量がピークを迎えている。成田税関支署によると、去年のうなぎの輸入量は成田空港が全体の約8割を占めている。外国産うなぎの仕入れ値は去年と変わっていないということで、輸入業者は夏日が続くなか、土用の丑の日を前に「うなぎを食べてみなさん元気でお過ごしください」と話[…続きを読む]

2025年7月13日放送 13:05 - 13:45 NHK総合
首都圏いちオシ!中川家礼二の沿線いちオシ!JR山手線スペシャル山手編
JR山手線スペシャル山手編、次は鉄道駅ではありがちな品川区にあるのに目黒の目黒駅。イチオシは国立科学博物館 附属自然教育園、目黒駅から徒歩9分とは思えない東京ドーム4個分の自然が残っている。江戸時代には高松藩松平家の薬草園だったが1949年国の天然記念物に指定されると一般公開されるようになった。江戸時代に管理していたのは平賀源内で高松からもちこんだ植物が何種[…続きを読む]

2025年7月8日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
佐賀市に住む谷川靖夫さんが持ち込んだお宝は柳沢淇園の掛け軸。柳沢淇園は江戸中期の武士である一方文人画の先駆者としても知られていて、若くして武士として出生した後に荻生徂徠ら一流文化人との交流を経て多芸を極めていった。画の分野では明・清の中国画から影響を受け、特に花や果物などの題材を得意としていた。

2025年6月30日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
クイズプレゼンバラエティーQさま!!世界が驚いた!日本の発明&アイデアBEST15
発明・発見に関する人物を答えよと出題。エジソンなどが正解に並全員正解した。

2025年6月27日放送 15:40 - 16:54 テレビ東京
よじごじDays食と歴史の雑学さんぽin大森・蒲田
大正15年創業「八ツ目や にしむら」の系列店「八ツ目や やまもと」に立ち寄った。焼き方も仕入先も巣鴨と同じで伝統を受け継いでいる。一番のこだわりは毎日仕入れる国産うなぎ。秘伝のタレで炭火焼きしている。江戸時代、土用の丑の日に「う」がつくものを食べる習慣が元々あり、江戸時代の蘭学者・平賀源内がうなぎを売り出すために土用の丑の日=うなぎを考案した。一行は「うなぎ[…続きを読む]

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