あき竹城さんは温かみの山形弁で親しまれた。数多くのテレビドラマやテレビ番組に出演し、明るく飾らない人柄で人気に。あき竹城さんは昭和22年に山形県米沢市で6人兄弟の末っ子として生まれた。3歳で父が亡くなると母が米などの行商をしてあきさんを育てた。あきさんの運命を変えたのは中学校の修学旅行。浅草の国際劇場でみたショーに魅入られた。その後市内のダンス教室に入れてくれたという。ダンサーをしていた姉を頼り大阪に出たあきさん。その後東京の日劇ミュージックホールにうつり、地方まわりなど苦労が続いた。そして運が開いたのはコントに誘われたこと。NHKのバラエティ番組にも出演した。お国言葉でコントが話題になり、テレビ出演の依頼が次々に舞い込んだ。また今村昌平監督の目にとまり映画出演をし、カンヌでパルムドールを受賞した。しかし映画ではなまってはいけない事に苦労したという。その映画出演を喜んだのは母親だったという。
楢山節考の熱演が高く評価され、ドラマに引っ張りだこに。また家になき子2で主人公をいじめ抜ぬく役も演じた。また大河ドラマの天地人にも出演し人気者に。
楢山節考の熱演が高く評価され、ドラマに引っ張りだこに。また家になき子2で主人公をいじめ抜ぬく役も演じた。また大河ドラマの天地人にも出演し人気者に。