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「御巣鷹山」 のテレビ露出情報

ダッチロールの横揺れとフゴイドの上昇降下で123便は不安定な動きを繰り返していた。コックピットではコントロールできていないことはわかっているが操縦桿を握るしか術がない。客席では揺れの中で家族宛にメッセージを残す乗客もいた。衝撃音から7分の午後6時31分、機体は駿河湾を越えたところから旋回して北へ向かっていたが、おそらくパイロットがコントロールしたわけではない。ダッチロールは激しさを増し、傾きは最大40度に。機体はフゴイド運動によって高度約7000m付近から降下できずにいた。そこは酸素が薄く、客室の酸素マスクの酸素量にも限界が来ていた。コックピットの乗務員は酸素マスクをつけていなかったと考えられていて、低酸素症の症状で判断力や操作能力が低下していたと推定されている。理由は明確にはわからないが、原因追及と姿勢安定のため操作に専念していたからではないかと考えられた。コックピットでは高度を下げるために車輪を下ろした。すると、フゴイドとダッチロールは収まったが降下に神経を使い、管制官からの呼びかけに応じる余裕はなくなっていた。その頃、米軍・横田基地は緊急着陸の受け入れ態勢を整えていた。まっすぐ行けば横田基地だったが機体は左に旋回し遠ざかっていく。コントロールする術はなく、123便は降下しながら機首を御巣鷹方面へと向けた。そこは2000m級の山々がそびえる山岳地帯だった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年3月24日放送 19:30 - 20:42 NHK総合
クローズアップ現代放送100年 テレビが伝えた“あの日”と未来
1980年代に入ると各放送局はニュースや大型報道番組を続々とスタートさせる。前例のない誘拐事件や史上最悪とされた詐欺事件など大きな事件事故が相次いだ1980年代。グリコ森永事件(1984年)、豊田商事事件(1985年)、長野県で山津波(1985年)。衝撃的な出来事が映像で伝わることで人々のニュースへの関心は高まっていった。日航ジャンボ機墜落事故(1985年)[…続きを読む]

2024年10月25日放送 20:45 - 21:00 NHK総合
首都圏ニュース845(ニュース)
39年前に起きた日航ジャンボ機の墜落事故の悲惨さや当時の警察の活動を学ぼうと群馬県警に新たに採用された警察官など27人が上野村の御巣鷹山で慰霊登山をした。参加者はおよそ1時間かけて尾根にある慰霊碑の昇魂之碑に到着すると碑を丁寧に布で拭いて周辺を清掃した。そして代表が慰霊碑に花を手向けたあと全員で黙とうをささげ犠牲者を悼んだ。

2024年10月25日放送 18:10 - 19:00 NHK総合
首都圏ネットワーク(ニュース)
39年前に起きた日航ジャンボ機の墜落事故の悲惨さや当時の警察の活動を学ぼうと群馬県警に新たに採用された警察官など27人が上野村の御巣鷹山で慰霊登山をした。参加者はおよそ1時間かけて尾根にある慰霊碑の昇魂之碑に到着すると碑を丁寧に布で拭いて周辺を清掃した。そして代表が慰霊碑に花を手向けたあと全員で黙とうをささげ犠牲者を悼んだ。

2024年10月1日放送 21:00 - 22:54 日本テレビ
ザ!世界仰天ニュース羽田発JAL123便墜落事故…操縦不能の真実とは
機体をコントロールする術はなく、123便は降下しながら機首を御巣鷹方面へと向けた。そこは2000m級の山々がそびえる山岳地帯だった。山が迫る中、離脱するためにエンジンを全開に。一気に約2100mまで上昇したが、不安定になりまたしてもフゴイドとダッチロールが発生。姿勢の安定性が失われ失速し急降下。時速約500キロで降下したがギリギリで機首を上げ上昇に転じた。山[…続きを読む]

2024年8月13日放送 4:30 - 5:20 TBS
THE TIME’(ニュース)
墜落現場となった御巣鷹の尾根のふもとで行われた追悼慰霊式ではきのう、520本のろうそくに火が灯され、墜落時刻の午後6時56分黙祷が捧げられた。これに先立ち行われた慰霊登山には68家族230人の遺族が参加。日本航空の鳥取三津子社長も社長就任後初めて慰霊登山を行った。日本航空・鳥取社長は「安全には少しの緩みも妥協も許されない。現場任せにせず、経営が異変にも兆候に[…続きを読む]

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