2025年3月24日放送 19:30 - 20:42 NHK総合

クローズアップ現代
放送100年SP テレビが伝えた“あの日”と未来

出演者
桑子真帆 
(オープニング)
放送100年スペシャル!歴史的事件 あの名場面

今から100年前、1本のマイクから始まった日本の放送。ラジオからテレビへ。時代をうつし続けてきたメディアの報道に何を望むか。100年の放送を通じて日本全国に届けられてきたいくつもの歴史的瞬間。皇太子さまご成婚パレード(1959年)、アポロ11号月面着陸(1969年)、9.11アメリカ同時多発テロ(2001年)、大鵬歴代最多優勝(当時/1971年)、インベーダーゲーム大流行(1979年)、毛利衛さん宇宙飛行(1992年)、ウインドウズ95発売(1995年)、たまちゃんブーム(2002年)。

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オープニング

オープニング映像。

オープニングトーク

日本で放送が始まってちょうど100年。ゲスト:キャスター・元日本テレビアナウンサー・藤井貴彦さん、ジャーナリスト・元フジテレビアナウンサー・永野智子さん、元NHKアナウンサー・三宅民夫さん。大阪万博、東京オリンピック、アポロ月面着陸、インベーダーゲーム大流行に言及。

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放送100年 テレビが伝えた“あの日”と未来
ラジオからテレビへ 100年の歩みを体感!

テレビの黎明期を振り返る。NHK放送博物館を取材。1953年、テレビ放送開始。東京タワー完成(1958年)、3億円強奪事件(1968年)。1960年代後半、テレビ普及率は80%突破。歩行者天国が銀座に(1970年)。1970年代、カラー時代が本格化。NHK放送博物館学芸員・礒崎咲美さんのコメント。

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あさま山荘事件 “歴史的生中継”で何が

テレビ報道の歴史を変えたといわれるあさま山荘事件(長野・軽井沢町)。当初、報じられたのは銃を手にした若者たちが軽井沢にある山荘に立てこもり管理人の妻を人質にとったいうニュースだった。犯行は過激派組織の連合赤軍によるものと判明。周囲を警察が包囲し、投降を呼びかける様子が連日伝えられると人々の関心が徐々に高まっていった。10日目の朝、テレビ史に残る生中継が始まった。視聴者が目にしたのは巨大な鉄球を使った前代未聞の制圧作戦。事件に対する視聴者の熱はかつてないものだった。中継現場で人が亡くなるという経験したことのない事態に直面した当時実況を担当していた元NHKアナウンサー・平田悦朗さんはわき起こる感情を思わずコメントしていた。犯人が逮捕された夕方6時すぎ、NHK、民放を合わせた瞬間最高視聴率は89.7%に達し、ほとんどの国民がテレビを通して事件の結末を知る事になった。当時、日本テレビのアナウンサーとして朝から実況を担当していた久能靖さんは事件は新聞報道の影響力がまだ強かった当時、速報性というテレビ報道の強みを人々が実感するきっかけになったと考えている。

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あさま山荘事件の生中継について、三宅民夫、長野智子、藤井貴彦、桑子真帆のスタジオコメント。

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あさま山荘事件
あさま山荘事件 “歴史的生中継”のその後

あさま山荘事件では速報性というテレビ報道の一つの役割が象徴的に示されたが、一方で強い影響力ゆえの思わぬ出来事も起きていた。あさま山荘事件の実況を担当した元アナウンサー・久能靖さんは事件後に起きたある出来事に胸を痛めてきた。犯人が逮捕された3日後、救出された女性の病室に、記者が押しかけたときのこと。涙ながらに取材に応じて答えた「うどんを食べたい」と言った言葉が一部メディアに切り取られて報じられると女性に向けた社会からのひぼう中傷が始まった。地元では毎年殉職した警察官の命日に合わせ慰霊式が行われてきた。女性も慰霊碑に出向き、祈りを捧げてきたが事件以降、メディアの取材に応じることはなかった。

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あさま山荘事件
全国で品切れ騒動 発端は“うわさ話”

あさま山荘事件の翌年、テレビの影響力が想像を超える事態を引き起こす。日本中の小売店がパニックに陥ったトイレットペーパー騒動の背景にあったのは中東の戦争の影響で原油価格が高騰したオイルショック。物価上昇や物不足への不安が高まる中、トイレットペーパーなどの日用品を買いだめする現象が突然、全国に広がった。騒動の発端は大阪の新興住宅地の千里ニュータウン(大阪・豊中市)で広がったささいなうわさ話だった。うわさが広がった背景には新興住宅地ならではの事情があった。当時、最新設備として導入された水洗トイレ。トイレットペーパーは切らすわけにはいかない必需品になっていた。うわさ話から生まれた大行列。偶然、トイレットペーパーの特売セールを始めたスーパーに人々が殺到していた。メディア史の研究者でデマや風評による影響を検証してきた上智大学文学部新聞学科・佐藤卓己教授はインパクトのある映像を優先するテレビ報道は50年以上たった今も同じ現象を生み出す可能性があると指摘。コロナ禍の2020年にもトイレットペーパーを巡るニュースが報じられた。発端となったのはSNS上のうわさ。佐藤教授はSNSの影響力が高まっているからこそテレビには果たすべき役割があるという。

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テレビの“影響力” 報道アナたちが語る葛藤

テレビの影響力について、三宅民夫、長野智子、藤井貴彦、桑子真帆のスタジオコメント。

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テレビが“最も見られた時代” 1980~90年代に何が

1980年代に入ると各放送局はニュースや大型報道番組を続々とスタートさせる。前例のない誘拐事件や史上最悪とされた詐欺事件など大きな事件事故が相次いだ1980年代。グリコ森永事件(1984年)、豊田商事事件(1985年)、長野県で山津波(1985年)。衝撃的な出来事が映像で伝わることで人々のニュースへの関心は高まっていった。日航ジャンボ機墜落事故(1985年)。平成に入るとテレビは黄金時代を迎える。ベルリンの壁崩壊(1989年)、ソビエト連邦崩壊、消費税の導入(1989年)、バブル崩壊(1990年)、若貴ブーム(1991年)、皇太子さまご成婚(1993年)、きんさんぎんさん100歳(1991年)。激動する国際情勢、成長を続けた時代の終わり。先が見通せなくなっていく社会。テレビ報道は人々の心を明るく照らす役割を果たしてきた。平成初期、1日のテレビ視聴時間はピークに。

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第一発見者を“犯人視” 松本サリン事件で何が

メディアによる報道の危うさがあらわになる松本サリン事件。長野県松本市の住宅街に猛毒の神経ガスサリンがまかれ、8人が死亡、140人以上が被害を受けた。後にオウム真理教が裁判官の官舎を狙って起こした事件だと判明したが、当初疑惑の目が向けられたのは現場近くに住む第一通報者の男性だった。事件の翌日、警察は犯人を特定しないまま殺人容疑で男性宅を家宅捜索。薬品類を押収した。するとメディア各社は一斉に男性の家に押しかけ、男性を犯人視する報道を始めた。各社は警察情報だとして男性が薬品の調合を間違えて毒ガスを発生させた可能性があると事実無根の情報を流した。男性を犯人視する報道は日に日に過熱していった。男性が入院していた病院で担当医を務めていた鈴木順理事長。事件直後、サリン中毒で病院に運び込まれた男性に取材を試みようとメディアが殺到。さらに病院に対するひぼう中傷の電話がひっきりなしにかかってくるようになった。毒ガスの正体がサリンと判明したのは事件の1週間後。しかし素人でも製造可能だとして男性への犯人視が終わることはなかった。事態が動いたのは翌年の1995年3月。地下鉄サリン事件をきっかけに捜査が進み、警察は松本サリン事件もオウム真理教によるものと断定。メディア各社は事件から1年近く経ってようやく、誤りを認めた。男性の無実が証明された直後、テレビ報道のあり方に疑問を持ち、検証を行った人がいる。地元の高校で放送部の顧問を務めていた林直哉さんは部員たちとNHKを含む地元の5つのテレビ局の記者を取材し、1本の映像作品にまとめた。記者たちが語ったのは取材が警察頼みになっていたことへの反省と後悔だった。林さんが問題の根底にあると感じたのはテレビのある特性だった。当時、放送を録画する手段が限られる中で記者たちの責任感が薄かったのではないかと考えた。作品の最後でその課題を提示した。

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報道による“人権侵害” テレビが向き合う教訓

放送による人権侵害をどう防ぐのか。今から20年余り前に設けられたのがBPO(放送倫理番組向上機構)。元理事長・濱田純一さんはBPOの意義を語った。テレビ局が時代の変化を踏まえて何をどう伝えるかみずから考え続けることが最も重要だという。

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千代田区(東京)放送倫理・番組向上機構
報道による“人権侵害” テレビが向き合う教訓/「正確に伝える」放送が担う使命とは

河野義行さんから寄せられた今のテレビ報道に求めたいことについてのメッセージを紹介。過熱報道による人権侵害などについて、三宅民夫、長野智子、藤井貴彦、桑子真帆のスタジオコメント。

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NHK放送博物館河野義行関東大震災
戦時下の放送 報じられなかった“真実”

NHK放送博物館を取材。ひそかに持ち出され、焼却処分を免れた1943年9月9日のニュースの原稿。同盟国ドイツ劣勢のニュースは任意取止とされていた。未来の放送に向けて託されたメッセージ。NHK放送博物館学芸員・磯崎咲美さんのコメント。

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関連番組

放送100年関連番組の告知。

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NHKスペシャルサザンオールスターズ神様からの贈り物
9.11米同時多発テロ 世界を震撼させた生中継

2000年代、世界を震撼させたのが2001年のアメリカ同時多発テロの生中継。デビュー前だった歌手・一青窈さんがそのときつづった言葉から生まれた曲が「ハナミズキ」だった。特に願いを込めたのが「君と好きな人が百年続きますように」。元NHKアナウンサー・三宅民夫さんのスタジオコメント。歌手・一青窈さんのコメント。

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9.11が変えたテレビ アメリカの“愛国報道”

突然、日常を奪われ、不安と怒りが広がったアメリカ社会。当初、ABCテレビなどの大手メディアの中にはこの事態を冷静に伝えようという姿勢も見られたが、こうした報道に大統領を侮辱するのは許せないと非難の声が寄せられ視聴率も低下していく。逆にテロをきっかけに躍進したのが当時まだ歴史が浅かったフォックスニュースだった。テロ直後からキャスターたちは胸に国旗のピンを着け、愛国心を前面に出すようになる。政権に批判的な意見に対する厳しい姿勢が視聴者の支持を得るようになっていった。アメリカはテロの発生から1年あまりのちにイラク攻撃を始め、当時のフセイン体制を崩壊させる。その2年後、NHKの取材に応じたフォックスニュースの幹部は多くの視聴者を引きつけた手応えを語っていた。一方、その報道のあり方は行き過ぎていたという指摘もある。フォックスニュースでかつてコメンテーターを務め、2002年以降、出演するのをやめたジェフコーエンさんは同時多発テロに端を発した愛国主義的な報道は今のメディアのあり方にもつながっているとみている。

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伝えるべき“真実”とは?報道アナたちの葛藤

ABCテレビとフォックステレビのスタンスの違いが鮮明になったのはかえって視聴者にとって選択肢を提供できたという意味ではよかったのではないか。今の時代でも全く変わらない同じこと。三宅民夫、長野智子、藤井貴彦、桑子真帆のスタジオコメント。

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進化するネットメディア きっかけは自然災害

模索を続けながら歩んできたテレビ報道だが、インターネットの台頭でさらに大きな変革を迫られていく。2004年、インドネシアのスマトラ島沖でマグニチュード9クラスの大地震が発生。世界のニュースで流れたのはテレビ局ではなく、市民が撮影した映像だった。この報道を見ていたアメリカの若者が新たなウェブサービスを着想。今や全世界で25億人が利用する動画投稿サイトYouTube。テレビ局中心だった映像メディアの勢力図が大きく変わり始めた瞬間だった。今、多くの人が利用するハッシュタグも普及したきっかけは大災害だった。2007年、カリフォルニア南部で起きた大火災。50万人の住民が避難を強いられたとき、ハッシュタグ発案者・クリスメッシーナさんは避難に役立てようと自身が考案したハッシュタグの活用を呼びかけた。人々は「#サンディエゴファイア」を使って迅速な情報共有に役立てた。

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被災地に放送が届かない…東日本大震災で何が?

このころ、日本のテレビ業界はインターネットの活用を模索していた。ターニングポイントとなるのが東日本大震災。NHKは発災後すぐに緊急放送を開始したが、被災地では大規模な停電が起こり、テレビを見ることができない人が数多くいた。放送以外の発信手段となったのがツイッター。テレビとネットの距離を縮める出来事が起きる。地震発生から15分後、被災地から遠く離れた広島で中学生が思い切った行動に出る。NHKの映像をカメラで撮影し、無許可ながら動画サイトでライブ配信を始めた。中学生は母親が阪神淡路大震災で被災した経験から配信を決意した。その配信を知らされたNHK広報局職員(当時)・浅生鴨さんは無許可と知りながら拡散する。配信サイトUstream Asiaサービス企画部(当時)・加藤幹也さんはアクセス数の異常な伸びに気付く。通常、無許可の配信には停止の措置をとるが、NHKに連絡し、異例の対応に踏み切る。NHKではそれまでニュース放送をライブ配信した前例はなかった。メールを受け取ったNHKデジタル放送推進責任者(当時)・元橋圭哉さんは判断を迫られる。午後9時半、NHKは配信サイトと連携し、ニュース番組のライブ配信を初めて実現した。Ustreamでは民放を含む12の放送局が配信を実施。2週間でのべ4200万人が視聴。総再生回数は6800万回以上に上った。

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