メディアによる報道の危うさがあらわになる松本サリン事件。長野県松本市の住宅街に猛毒の神経ガスサリンがまかれ、8人が死亡、140人以上が被害を受けた。後にオウム真理教が裁判官の官舎を狙って起こした事件だと判明したが、当初疑惑の目が向けられたのは現場近くに住む第一通報者の男性だった。事件の翌日、警察は犯人を特定しないまま殺人容疑で男性宅を家宅捜索。薬品類を押収した。するとメディア各社は一斉に男性の家に押しかけ、男性を犯人視する報道を始めた。各社は警察情報だとして男性が薬品の調合を間違えて毒ガスを発生させた可能性があると事実無根の情報を流した。男性を犯人視する報道は日に日に過熱していった。男性が入院していた病院で担当医を務めていた鈴木順理事長。事件直後、サリン中毒で病院に運び込まれた男性に取材を試みようとメディアが殺到。さらに病院に対するひぼう中傷の電話がひっきりなしにかかってくるようになった。毒ガスの正体がサリンと判明したのは事件の1週間後。しかし素人でも製造可能だとして男性への犯人視が終わることはなかった。事態が動いたのは翌年の1995年3月。地下鉄サリン事件をきっかけに捜査が進み、警察は松本サリン事件もオウム真理教によるものと断定。メディア各社は事件から1年近く経ってようやく、誤りを認めた。男性の無実が証明された直後、テレビ報道のあり方に疑問を持ち、検証を行った人がいる。地元の高校で放送部の顧問を務めていた林直哉さんは部員たちとNHKを含む地元の5つのテレビ局の記者を取材し、1本の映像作品にまとめた。記者たちが語ったのは取材が警察頼みになっていたことへの反省と後悔だった。林さんが問題の根底にあると感じたのはテレビのある特性だった。当時、放送を録画する手段が限られる中で記者たちの責任感が薄かったのではないかと考えた。作品の最後でその課題を提示した。