1995年にトヨタ自動車社長に就任した奥田碩氏は1997年に世界初の量産ハイブリッド車プリウスを発売し、収益と成長の柱にした。会長に就任後、活動の中心を財界に移した奥田氏は2002年にいまの経団連の初代会長に就任し、財界総理として存在感を発揮してきた。小泉内閣時代には奥田氏は政府の経済財政諮問会議の民間議員となった。経団連会長を退任する前には、奥田氏は組織トップの心得として、自由闊達に人にものを語らせ・考えさせ・やらせることが一番大事なことなどと告げていた。奥田氏の後任として経団連会長を務めたキヤノンの御手洗冨士夫会長CEOは、奥田氏について日本の産業界全体の将来を真摯に考え続けられたお姿と温かいお人柄は私たち後進にとって大きな道標であり続けることと思うなどとコメントしている。関係者によると奥田氏は今月8日に老衰のため93歳で死去した。
