1590年に徳川家康が江戸に入り、諸大名や家臣たちの屋敷を作り住まわせた。武士たちの生活を支えるために全国から職人や商人たちを集めた。町人たちに年貢はなかった。武士たちは生産活動に従事しておらず、都市機能を充実させるため年貢に相当する負担がないことを魅力に商人や職人を呼び寄せ城下町を形成した。ただ無税ではなかった。牧原教授は、都市に住み屋敷を持つのが正規の町人とされ人足役を幕府や藩に納めた、城主に奉仕することが年貢の代わりで1軒あたり年間15日だった、自分の召し使いや裏店の住人を送り込んでいたと解説した。牧原教授は、年貢米をお金に換える役割を果たしていたのが町人で武士が受け取った米を換金する札差という業者が金融業として大きな力を持った、米だけだと不便なので貨幣の仕組みも同時に発達した、幕府は町人の力がどこまで行くかたぶん読めていなかった、日本橋や京橋のあたりの外側は元々村だったが江戸が拡大して外側まで町人が住み始めたと解説した。18世紀に江戸の人口は100万を超え、武家も町人も約50万人だった。