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きょうの世界遺産は佐渡島の金山。
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- 佐渡島の金山
相川鶴子金銀山と西三川砂金山、2つのエリアが世界遺産。佐渡島で観光客に人気なのがかつて磯漁で使われたたらい船での水上散歩。船大工が作った町並みには古き良き風情が漂う。18世紀にフランスで作られた日本地図にも金鉱山佐渡の名が。最初に注目されたおは砂金だった。西三川エリアで室町時代に開発が本格化した。今でも砂金が採れる。砂金を採るために山肌を削った跡がある。川がないところでは人工の水路を作って洗って砂金を集めた。
相川鶴子エリアで金の鉱脈が見つかり、空前のゴールドラッシュが幕を開けた。山頂で金鉱脈が見つかり、1601年に採掘が始まったとされる。山頂から手作業で掘り進むうちに山が二つに割れたようになった。割れ目の幅は約30m。深さは74mある。周辺の地中には江戸時代に掘られた坑道が張り巡らされている。1トンの石から採れる金は平均5グラムほど。それでも世界の鉱山と比べると倍近い量だった。江戸の人口が100万人の時代に、佐渡には多い時で10万人いたとも言われる。
江戸時代、日本のゴールドラッシュの舞台となった佐渡。すべて人力で掘り出された大量の金が幕府の財政を支えていた。数千万年前の火山活動でできた大地が佐渡島のもとになっている。その大地は一度は海に沈んだが、やがて隆起し二つの島ができた。島々の間に土砂などが堆積し佐渡島になった。こうした過程でできたいくつもの断層に金や銀を含んだ熱水が入り込み、それが冷えて固まって鉱脈ができた。それに目をつけたのが徳川家康。全島を直轄地とし、後に江戸から奉行が派遣された。やがて採掘から精錬、小判づくりまで全ての工程を奉行所のもとで行うようになった。こうして江戸時代を通じて大量の金を幕府へ供給し続けた。中にはヨーロッパへ流出したものもあった。
金山の岩は硬く、手作業で掘れるのは少ない時で1日10cmほど。鉄製の鏨が2日でダメになったという。空気循環用の坑道で酸欠を防いでいた。坑道に溜まった湧き水を抜くために水上輪という道具が使われていた。湧き水を海へと続く川へ逃がすための約1kmの水路も掘った。世界の鉱山が機械化される中、高度な技術を駆使しすべて人力で金を産出したことにより世界遺産になった。
金の採掘や交易船の寄港地として栄えた佐渡。日本中からやってきた人々が様々な芸能を持ち込んだ。中でも流行したのが能。多い時で200以上の能舞台があったという。金山は芸能の発展にも一役買っていた。佐渡には今も全国の約1/3にあたる34もの能舞台がある。明治以降には佐渡の金山も近代化された。佐渡の金山は平成元年に休山した。
「世界遺産」の次回予告。
「ベスコングルメ」の番組宣伝。